幻想
 胡桃は言い淀む。
「いずれは某有名私立大学に入学させて、まずは弁護士にでもなって、政治家はそれからでも遅くないわね。絶対遅くない。だから息子には、今の内にしっかりと勉学に勤しんでもらわないと」
 典型的な教育ママの一面を絹枝はのぞかせた。
 この家庭に生まれなくて心底よかった、と胡桃は引きつった表情を見せつつ思った。元来が顔に出やすい。勉強も大事だが、若い内だからこそ学ぶこともあるはずだ。
「彼女さんとかいらっしゃらないんですか?」
 調合したアロマをソファーの前にある木製のテーブルに置いた。あら、と絹枝の表情が綻ぶ。この綻ぶ瞬間を胡桃は大事にし、明日への糧にしている。そう、嬉しいのだ。
 アロマを堪能した絹枝は表情を反転させ、「彼女?必要ないです。そんなもの」と声だけで辺りを闇にするような気迫を放った。
「でも、恋愛の一つや二つしとかないと、大人になってから女性を知らない、とかでなじられますよ。あまり縛りつけてしまうと、逆に大人になってストーカーになったりして」
 ストーカー、と強調して再度、胡桃は言った。
「あなたね。まだ結婚してないでしょ?わからないと思う。息子を他の女の子に取られたくないの。だって一人息子だから」
「でも、いずれは自立するときがくると思うんですが」
「だから、あなた結婚してないでしょ?痛みを伴った私の分身よ。可愛くて、愛おしくて仕方がないの。あなたも早くいい男みつけて、結婚した方がいいわよ」
 結婚の二文字は、胡桃にとってタブーだ。それに、余計なお世話だ。
「結婚ですか」
 胡桃は下を向いた。
「そんな落ち込まない」
 落ち込ませたのは、あなただろ、という絹枝の言葉を胡桃は飲みみ込む。「なんだかんだいって恋してるんじゃない?」
 胡桃は頷いた。恋はしてるのだ。数ヶ月前からお客として接するようになり、会社を経営している男性。名は恭一。職業は会社を三社経営している。同業ではないしろ、経営者、として波長が合い、食事をするようになり、体を重ね合わせる関係にまでなった。
 が、一つ問題が。
 男というのはなんてずるい生き物だろう。そう、彼は既婚者だったのだ。子供も二人いる。
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