幻想
 胡桃は鳩のように小ぶりな目をした女性を見た。どこか憧れにも似た表情で花丸に視線を合わせていた。

     
      五号車

 鳩葉はパチン、パチンと、リズミカルな音を立てる車内に耳をそばだてる。快音が耳を通過し、その刹那目を開けた。隣で青葉が指の爪を切っている。均一に切り揃えられていく爪は鳩葉にインスピレーションを与えつつある。
「爪切りを持っているとは思わなかった」
 鳩葉は言った。
「僕も本当は持っているつもりではなかった。でも、持っていこうと思ったんだ」
 と青葉。
「なぜ?」
「なにが起きるかわからないからだよ、鳩葉ちゃん」
「なにが起きるかわからない」
 鳩葉は反復した。
「これから四号車に向い、拳銃の真偽を確かめにいくなんて、誰が想像したかな?少なからず僕は想像できなかった。一度、リセットする必要がある」
「リセット」
「そう、リセット。爪を切るって、何か一つの事柄に終わりを告げる感じがするんだ」
 青葉と出会ったときも、同じようなことを言っていたような気がする、と鳩葉は思った。どんなときだっけ。この世界は、言葉に溢れ、音にも溢れている。反面、放たれた言葉は消え、音も終わりを告げる。そんな世界にいて、彼氏である青葉の言葉を覚えていないなんて彼女失格だ。
 鳩葉は手持ち無沙汰になり、ギターケースから紺色のピックを一枚取り出した。表面に天使の翼が描かれ、彼女のお気に入りの一品。すると青葉が気づき、
「天使と悪魔って相容れない関係だよね」と小指の爪を切りながら言った。
 その一言で全てが鳩葉の疑問は解決した。あの時か、と。

「音は増やした方がいいよ」
 鳩葉はライブ終わりに男に呼び止められ、いいからさ、と強引に腕を引っ張られ、入ったカフェでパンケーキを食べている。
 彼は青葉と名乗った。
「大きなお世話です」
 鳩葉はきっぱりと言い切った。それにしてもパンケーキとはこんなにも美味しいものだったろうか。パン生地上に、アイスが乗り、そのアイスが溶けた際の味の融合は音楽と通ずるものがある。
「僕と一緒にやらないか。インスピレーションが湧くんだ。君を有名にできると思う」
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