略奪ウエディング
――うっすらと目を開いた私の視界に飛び込んできたのは、課長が私を覗きこむ顔だった。
「あ…気付いた?」
幻ではないかと思いながらぼんやりとその顔を見つめる。
「ここは医務室。倒れたんだよ。覚えてる?」
私は課長の声を聞きながら、夢なのか現実なのか分からない気持ちで彼を見つめたまま黙っていた。
私は医務室のベッドでしばらく寝ていたようだ。
「梨乃は少し軽すぎるよ。もっと食べないとまた倒れてしまうよ」
そこまで言うと、課長が立ち上がりその顔が離れた。
「か…ちょ…」
声を出してようやくこれは現実なんだと認識する。
「私…すみませ…」
何に対して謝っているのか。
ここまで私を運んでくれたこと?
心配をかけたこと?
…東条さんに、…会いに行ったこと?
分からないけれど、他に言葉が見つからなかった。
「ごめん、今日は送れないから…、タクシーを呼んでおくよ。もう定時は超えてるからこのまま帰るといい。玄関まで送るから」
そう言って私からさっと目を逸らした課長を見て、悲しみがこみ上げてきた。
一番大切なもの。私の胸を熱く焦がし、何よりも幸せを感じることができたもの。
それは――あなたの笑顔。もう、消えてしまったの?
恐怖に近い喪失感で、私は涙を流す余裕すらなかった。
「タクシーが来たらまた呼びに来るから。それまでもう少し休んでて」
無表情のまま淡々とそれだけを言い残して課長は部屋を出て行った。
どうしよう。きっともう、課長は私のところに還っては来ない。
震える手を顔の前にかざすと、そこには無数の光の矢を放つ婚約指輪が輝いていた。
それを見つめながら、私はただ、呆然としていた。