略奪ウエディング
五・すれ違う心
絡まる糸の根源
「はい。…そうです。キャンセルで。お願いします」
受話器を置いてため息を漏らす。
今日は梨乃の出勤最終日。
たった今、ホテルレストランのディナーの予約をキャンセルした。
二人で楽しく祝うはずだった。そのときに俺の海外勤務の話もするつもりだった。
彼女の方をちらっと見る。
仕事の引継ぎに追われる梨乃のデスクにはもう書類はほとんど置かれてはなく、デスクを埋め尽くしていたバインダーもなくなりすっきりしている。
彼女は真剣にパソコンを打っている。今日、今月のデータをまとめたら、もう彼女の仕事は終わる。
俺がじっと見ていることにも気付かず梨乃は隣のデスクの矢崎と何やら話しながらクスクスと笑う。
俺はそんな彼女を見つめながら、切ない気持ちになっていく。
お父さんから梨乃が東条の病院へお見舞いに行ったと聞かされてから俺は彼女を避けて今日まできていた。
話し合うべきだと分かってはいるのだが、そんな気になれなかった。
先日彼女が倒れたときには誰よりも早く駆けつけて抱き上げたのだが。
自分がどうしたいのか分からなくなってきていた。
病院で二人がどんな話をしたのか聞くのが怖いのかも知れない。
幼稚な態度を取り続ける自分が嫌になってくる。
明日からは梨乃はもうここにはいない。
たとえ話さなくても、会社で彼女を見つめることができた。様子を知ることができた。
明日から…俺たちを繋ぐものは、何だろう。
焦りと、不安と、怒りと…嫉妬。
自分の心の中に新たに渦巻くものに押し潰されて見えなくなってきている彼女への愛情。
それをそっとすくい上げ取り出して彼女に渡す勇気が今の俺にはなかった。
拒絶されたら…。彼女の選んだ道が、東条と歩くことだったなら…。
そこまで考えて梨乃から目を離した。
自分がこれほどまでに彼女を愛していることを、今さら知って困惑しながら、何もかもを忘れるように仕事に打ち込んだ。