アイスブルー(ヒカリのずっと前)
祖母に会いたかった。
自然と涙がにじんで、鈴音は人差し指でそっとその涙を拭った。
寺務所に桶を返し、お寺を出て、坂を下る。
大通りを渡り、住宅街へと入って行った。
鈴音が働きだした頃、両親は一戸建てを購入した。
単身赴任から帰って来た父親と、働いていた母親、二人で住むために。
鈴音が住んでいたことはない。
鈴音は高校を卒業するとすぐ、両親からなるべく距離を置いた。
責められるのも、同情されるのも、うんざりだった。
泣きたいのはこっちなの。
そう、わめかないで。
わかってるんだから。
過ちを犯したってことは。
アスファルトから熱気があがってくる。
白いシャツに、汗が滲む。
鈴音はハンカチを取り出し、額をぬぐった。
「一緒にくる」と言った拓海を思い出す。
「家族になりたいんだ」
まるで幼い子供が将来の夢を語るように。
気軽に、
たいしたことじゃないように、
考えもなしに、
口にした。
「家族になりたい?」
鈴音は首を傾げる。
どういうつもりなんだろう。
「じゃあ、結婚する?」
拓海は明日の予定を話すみたいに、簡単に口にした。
「子供なんだから」
鈴音は腹が立って、思わず口にだした。
すれ違ったおばさんが、ちろりと鈴音を見た。
鈴音は恥ずかしくなって、手の平で口を押さえる。
下を向いて、足を速めた。
拓海を男性として好きになれるのか?
「まさか」
鈴音は軽く笑った。
「そんなこと、考えたこともない。幼くて、子供のようで、確かに可愛い顔はしてると思うけど、男性ではない」
じゃあ、拓海は鈴音に女性を感じているのか?
鈴音は首を振った。
「そんなわけない。そんなの感じたこともないや」
鈴音は半ば投げやりに言った。
あの子はわかってない。
結婚するということが、どういうことか。
彼が言うことが本当であれば、たまたま彼の前世が鈴音の子供だったというだけで、今はまったく関係ない。
自分の母親と同じ年齢の女性を捕まえて、結婚しようだなんて、冗談にもほどがある。
いつか彼も気づく。
もし仮に拓海とともにこれからを過ごしたとしても、いつか拓海は鈴音の側を離れるに決まっている。
拓海は、母親の元を離れるように、大切にしたい女性とともに、鈴音の側も離れていくだろう。
そのとき鈴音は母親のように、拓海を笑顔で送り出せるのか。
「わたしは、母親じゃないから」
鈴音は言った。
拓海のいない暮らしを考えた。
拓海の夏休みが終わり、鈴音は一人で毎日を過ごす。
お客さんが帰った後の、部屋の中を想像する。
空の食器を片付け、テーブルをふき、ふと目を上げる。
誰もいない。
誰も。
「寂しいかな」
鈴音はそうつぶやいてから、再び首を振った。