アイスブルー(ヒカリのずっと前)
夕食前に鈴音の家を後にした。
弾むような気持ちで、家路をたどる。
道を歩いていても、電車に乗っていても、何をしていても、自分の周りにいる赤の他人みんなが、幸せな気持ちになっているような、そんな不思議な感じがした。
陽が陰り、街灯がつく。
団地への道を、拓海は軽い足取りであがって行く。
ふと前方に結城の姿を見つけた。
先日の光景が脳裏にちらついたが、思わず「おーい」と呼びかけた。
白く光る街灯の下で、結城が振り返った。
長くなった髪をまとめて、顔が小さく見える。
拓海の姿を確認すると、結城が笑顔になった。
「どうした? うれしそうじゃないか?」
拓海が追いつくと、結城がそう声をかけた。
「そう見える?」
拓海は話したくてうずうずしている。
「いいことあった?」
「うん」
拓海は頷いた。
道路脇の草むらからは、秋の虫の声が聞こえる。
結城がポケットに手をいれ、肩から布の鞄をかけている。
「俺さ」
拓海はうれしくてたまらなく、声が高くなる。
「何?」
「卒業したら、鈴音さんのカフェで働くんだ」
結城は驚いたように立ち止まる。
拓海は振り返った。
結城の顔は暗闇に隠れ、表情がわからない。
緑の匂いを含んだ風が、流れていく。
「結城?」
拓海が訊ねた。
「聞いてるよ。鈴音さんがいいって言ったのか?」
「……ちゃんと、いいとは言われてないけど」
拓海は少し不安になってうつむいた。
「でも、その話しはしたんだ」
結城がそう言って歩き出した。
「うん」
拓海は頷いて、結城の横を再び歩き出した。
「専門学校はどうする?」
結城が訊ねる。
「行かない」
「いいのか?」
「いいんだ。学校通うより、あの場所にいることのほうが、ずっと重要なことみたいに感じる」
「おばさんには、どうやって言うんだ?」
「そのまま。カフェで働くって言うよ」
「家出るの?」
拓海はそう訊ねられて、少し首を傾げ考える。
「あの人と、暮らしたい」
そう言った。
「同棲ってこと?」
「それともちょっと違うような。わかんない」
「でも男女が一緒に暮らしたら、そうなるだろう?」
「僕はなんでもいいんだ。あの人の弟でも息子でも、恋人でも、夫でも」
拓海は興奮して話した。
「あの人が望むものになる。家族みたいに一緒にいたいんだ」
「お前もいつか、他に好きな人ができて、結婚したいって思うかもしれないじゃないか」
「かもしれないよね」
「そしたら、どうするんだ?」
「……考えてない。そんなこと、おこらない気がする」
「あの人が好きってこと?」
「ああ、なんて説明したらいいんだろう。普通の関係じゃないんだ。あの人は特別。あの人のために僕は産まれて、生きてるんだ」
結城が拓海の顔を見ている。
優しい顔。
今まで結城に守られていたんだ、と確信する、そんな顔。
「なんだよお」
拓海は照れて、結城の肩を押した。
「うれしそうだな、って思って」
「うれしいよ」
拓海はへへへと笑った。
「こうやって、赤の他人の、異性として産まれたことに、意味がある気がする」
拓海は言った。
「どういうこと?」
「だってさ、彼女が母親だったら、いつか離れなくちゃならないだろう? 僕が女だったら、友達にしかなれない。家族にはなれないよ。でもさ」
拓海は空を見上げる。
「でもさ、男女だったら、ずっと一緒にいられる。それこそ死ぬまで、ずっとずっと家族として一緒に暮らせるじゃないか」
「……そうだな」
結城が言った。
「おかしいと思ってる? でも、本当のことなんだ」
「ふうん」
「こんな感情は初めてだよ」拓海が言うと、
結城は「説明のつかない感情ってあるよな」と言って、夜空を見上げた。