アイスブルー(ヒカリのずっと前)
しばらく玄関で立ち尽くす。
「母さん、もう」
鈴音はそう言うと、再び電話を手にとった。
コール三回で、母親が電話に出た。
「もしもし」
「もしもし。母さん?」
鈴音が言った。
「ああ、鈴音」
母親の平坦な声が返って来た。
「母さん、今日、引っ越ししたんだけど」
「そうだった。ごめんね、手伝いに行けなくて。父さんを一人で家においておく訳にいかないから」
「いいよ、わかってるから。」
「あなたも、こっちに帰って来たらよかったのに。なんでわざわざそんな古い家に引っ越したの?」
「この家、好きなの」
「おばあちゃんが死んでから、しばらく誰も住んでなかったから、荒れてるんじゃない?」
「まあね。でも、わたしがきれいにするから大丈夫」
「物好きね」
母親は信じられないというように言った。
「母さん、あのさ。」
「何?」
「正明さんに、ここの番号教えたでしょう」
「もうかかってきた?」
母親の声がうれしそうに弾む。
「ねえ、正明さんに、番号を教えたり、ましてやここの住所を教えたりしないでほしいの」
「かたくなね、あなたは」
「もう私たちは別れたんだから」
「でも、正明さんはあなたに未練があるようよ」
母親が言った。
「わたしはよりを戻すつもりはないから。彼から連絡があるのは、迷惑なのよ」
「冷たいのね」
母親の言葉に責めるような調子が混じる。
「区切りを付けたいだけ」
「ああ、わかった、わかったから」
母親が疲れたように答える。
「あなた、いつお父さんに顔を見せられる?」
「こちらが片付いたら、時間をつくるわ」
「そんなこと言いながら、のばしのばしにするのよね」
鈴音は押し黙る。
「お父さんはもう、あなたのことを怒ってなんかいないわよ。出て行けって言ったのは、もう随分昔の話」
「わかってる」
「病気をして、お父さんも弱気になってるから。顔を見せてやって」
「うん、わかった。また連絡するから」
鈴音はそう言って、電話を切った。
台所に戻ると、古いダイニングテーブルに座り、肘をつく。
壁にかけられた時計をぼんやりと見る。
午後四時半。
目を閉じると「ちくちくちく」という時計の針が刻む音が聞こえる。
「静か」
鈴音はつぶやいた。
「全部リセットして、新しい自分になりたいって思ったけど、そう簡単にはいかないのね」
ふと脳裏に、今日出会った少年の顔が浮かんだ。
地味だけど整った顔立ち。
くっきりとした二重で、愛らしいという表現がぴったりとしている。
「とても高校三年生には見えなかったな」
鈴音は今朝、少年の隣にいたもう一人の学生の姿も思い浮かべた。
対照的に背が高く、驚くほどきれいな顔をしていた。
「でこぼこコンビ」
鈴音はそう言うと、思わず笑みがこぼれた。
「今夜はコンビニのお弁当で我慢するけど、明日からはちゃんと作ろう。ね、おばあちゃん」
鈴音はそう言うと、テーブルから立ち上がって、残っている家の仕事を片付け始めた。