アイスブルー(ヒカリのずっと前)
結城が窓際に移動して、タバコに火をつける。
携帯灰皿をもう片方のポケットから取り出す。
甘く刺激的な匂いが、部屋を漂う。
結城はタバコを持った腕を、窓の外にのばす。
暗闇に白い煙が、優しく散って、消えて行く。
「タバコって、おいしいの?」
拓海が訊ねる。
「おいしくないよ」
「じゃあなんで吸うのさ」
「なんでだろうな」
結城がタバコに口をつける。
オレンジ色の火が、じわっと光る。
拓海は畳の上におかれたタバコの箱を見た。
「強くなったね」
「……そう、変えたんだ」
「あんまり強いタバコに慣れると、止めたいときに辞められないんじゃない?」
「かもな。どっちでもいいよ」
「肺が真っ黒だよ」
「わかってるよ。なんだ、おふくろみたいなこと言って」
「……最近、結城がなんて言ったらいいか……破滅的な気がして」
拓海が言った。
結城が目を見開いて拓海を見る。
「おおげさな」
「何かあった?」
拓海が聞いた。
「何にもないよ」
結城が目を閉じる。
「話したいことがあるって言ってたけど」
拓海が言うと、結城が目を開けて「ああ、そうそう」と言った。
「おふくろがさ、大学に行けって言うんだ」
「大学?」
「ああ。このまま進学しないのは、もったいないって言うんだ。そのための貯金もしてあるからって」
「確かに、結城は勉強できるから」
「でも俺、勉強は嫌いじゃないけど、これを学びたいっていう気持ちもないんだ」
結城は携帯灰皿にタバコをギュッと突っ込んだ。
髪をかきあげる。
「おばさんは、進学のためにお金を貯めてたんだろう? だったら、大学に行ってもいいんじゃないの?」
「そう思う?」
「うん。おばさんのためにも」
「おふくろのため……そうだよな」
結城が言った。
「俺、高校を卒業したら、家を出ようと思ってたんだ」
「うん。結城は考えてるだろうなって思ってた。ナツキちゃんと住むの?」
拓海が訊ねた。
「ナツキと? まさか。めんどくさいよ」
結城が言った。
「だって好きなんだろう?」
「好き? そうなのかな。わかんない。一緒にいて楽しいと思うときもあるけど。同棲したいとは思わないな」
「ふうん」
拓海はよくわからず、曖昧に相づちを打った。
「でも、進学したら家を出られない。だろ?」
結城が訊ねた。
「そうだね」
「拓海は?」
「進学のこと?」
「進学に限らず、これからのこと」
「うん、とりあえず働くと思うよ。それこそうちは、俺が進学するような余裕はないし。でも家は出ない。母さんを一人にできないだろう?」
「そうか……初めてだな」
結城が片膝をたて、その上に腕をのせる。
「何が?」
「別の道に行くってこと。」
「だね」
拓海が言う。
「でも、住んでるところはまだ一緒だ」
「うれしいんだろ」
結城がにやりと笑うと、
拓海は「どうかな」と笑った。
「さてと」
結城がカラカラと窓を閉め、厚手のカーテンを引き、立ち上がる。
「帰る?」
拓海がコーラを飲みきって、席を立った。
「うん」
結城が再びフードをかぶり、フードに手を入れて髪を整える。
「また明日」
拓海が軽く手を上げる。
結城がスニーカーを履き、ペンキのはげかけた古くて重い玄関戸をあけ、廊下に出る。
「おやすみ」
結城も手をあげて、コンクリートの階段を上って行く。
拓海はその背中を見ながら、
一瞬脳裏に別の映像が見えた。
パーカーの下に隠れる結城の頬に、涙が伝う。
顔を上げると、そのきれいな瞳は真っ赤だった。
「あれ?」
拓海が思わず声をあげる。
その声を聞いて、階段の途中で結城が振り向いた。
「何?」
そう問いかける結城の顔は、いつも通り穏やかな笑みを浮かべていた。
「いや、なんでもないよ。おやすみ」
拓海は訳がわからず、慌ててそう答えた。
「そう? おやすみ」
結城はリズミカルに階段を昇って行く。
結城が踊り場を抜け拓海の視界から消えてもなお、階段をタンタンタンとあがる音がした。
「なんだろ。気のせいかな」
拓海は首をかしげて玄関を閉めた。