アイスブルー(ヒカリのずっと前)
「お父さんの調子はどう?」
鈴音は話題を変えた。
「相変わらずよ」
母親がほつれた髪を手でとかしつけ、疲れたような笑みを浮かべた。
「元気なの?」
「そうね、元気。だからしんどいみたい。思うように動けないでしょ。わたしに迷惑をかけているって思ってるもんだから、扱いづらいわ」
「リハビリは続けてるんでしょう?」
「続けてるけど、本当に効果があるんだか」
母親が溜息をついた。
「機会を見つけて、会いにいくから」
「本当?」
「本当。約束する。でもわたしの顔を見て、父さんの機嫌が悪くならなきゃいいけど」
「勝手に離婚しちゃって、父さんも少し怒ってたわ」
「少しじゃないでしょう?」
「怒ってたけど、でもそれはがっかりしたからでね。あなたの幸せを望んでいたからだと思うわよ」
「そうね」
「母さんは?」
「何が?」
「調子よ。大丈夫なの?」
「さあ……」
母親が首を傾げた。
「疲れてるように見える」
「そうね、いろいろ重なったし。」
「ごめんなさい」
鈴音はうつむいた。
母親が目を閉じた。
「坂道を転がるように、徐々に悪くなる。気持ちをもっと明るくって思うんだけど、なかなかそうはいかないわ」
鈴音は何も言えず母親の顔を見た。
汗をかいているにも関わらず、肌がかさかさしている。
働いていた頃の母は美しかった。
エネルギーに満ちていて、自信があった。
家族の心臓だった。
今は疲れ、嘆き、不運を呪ってる。
「やっぱり、恨まれてるのかしら」
ふと母が口にした。
「鈴音、一緒に供養にいかない?」
鈴音は手が震えそうになるのを、必死に堪えた。
「そんな必要はないから」
「でもね」
「父さんの病気とは、まったく関係ないことよ」
鈴音は弱気な母を奮い立たせるように強く主張したが、実際は今にも叫びだしそうに取り乱していた。
母親はちらりと鈴音を見た。
その視線。
その表情。
たまらない。
「この話はやめて」
鈴音がきっぱりと言い切った。
「届け物って何?」
「ああ」
母親が鞄から紫の布に包まれたものをそっと取り出した。
「位牌。おばあちゃんと、それからおじいちゃんの。あなたがこの家にいるのなら、この家に帰った方がいいと思って」
鈴音はその包みを両手で受け取った。
「おばあちゃんは、最後までホームには行かなかったんだよね」
「そうよ。この家で亡くなったの。一人じゃもう危ないって思ってたし、ホームに入れるよういろいろ調べたりしてたんだけど、頑固でね」
「どうして母さんはこの家で一緒に暮らさなかったの? 父さんも母さんも、ここから充分通勤できたでしょう?」
「そうね」
母親が庭をぼんやりと見つめる。
そこに祖母が立っているかのように。
「おばあちゃんといると、母さんがしんどかったのよ」
鈴音は黙った。
「離れて暮らしたほうがいい親子もあるの」
そして鈴音を見て「あなたもそう思ってる?」と聞いた。
鈴音は返答に困ってうつむいた。
「気が向いたら、帰って来て」
母親が言った。
「親子なんだから」
「うん」
鈴音は頷いた。