ラストバージン
* * *
「いらっしゃいませ」
見慣れた店内に続くドアを開けた直後、鐘の音とマスターの低い声が耳に届いた。
「こんばんは」
「おや、結木さん。お久しぶりですね」
「はい。あの……一杯だけ、よろしいですか?」
閉店時間までもう十五分もないけれど、マスターはニッコリと笑った。
「もちろんです。いつもの物でよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました。では、お好きなお席にどうぞ」
僅かな懐かしさを感じながら頷き、入口の正面にあるカウンターの左端に視線を遣ったけれど……。私の定位置になっているそこには、コーヒーカップが置かれていた。
仕事の早いマスターの事だから片付けていないというのは考え難く、きっとまだお客さんがいるのだろう。
そんな風に考えていると、トイレのドアが開いた。
「あ……」
自然と遣った視線が相手のそれとぶつかり、ごく当たり前のように声が重なる。
「お久しぶりですね」
先に笑みを浮かべたのは、こちらに歩いて来た榛名さん。
「あ、はい。お久しぶりです」
一瞬、驚きに心を囚われてしまいそうになっていた私は、慌てて笑顔を繕って頭を下げた。