ラストバージン
駅前の理髪店から自宅までは、本当に近い。


もちろん、駅からの利便性を最優先に選んだマンションだから当たり前だけれど……。

「今日は、本当にありがとう」

それが榛名さんとの時間を早く終わらせる理由になると思うと、どうしてそんな事を一番に考えてしまったのかとため息を零しそうになった。


「私の方こそ、迎えに来て貰った上にご馳走になって本当にありがとう」

「気にしないで。今度はご馳走して貰うから」


そんな気持ちを隠して微笑む私の心情なんて、榛名さんはきっと知らなくて。
それが当たり前だし、こんな気持ちがばれてしまうと困ると思うのに、至って平静な彼に悔しくなって。


歯痒いような、寂しいような、何とも言えない感情に包まれた。


「あっ……」

「え?」


そんな私に笑みを向けていた榛名さんが、不意に小さな声を漏らしたかと思うと手を伸ばして来て……。

「な、何……?」

突然の事に困惑をあらわにした私の頬に、そっと触れた。


直後に感じたのは、榛名さんの指先の温度。


「髪、食べそうになってたよ」


ほんの数秒触れただけのそれはとても温かくて、言葉を失った私を見つめる瞳は優しく緩められていた。

< 175 / 318 >

この作品をシェア

pagetop