ラストバージン
「あぁ、そうですよね。お忙しいと仰っていましたから、そんな時間もないでしょう」

「はい。実は、実家にも全然帰っていないくらいで……」


さりげなく話を逸らした私に、マスターが眉を小さく寄せて微笑んだ。


「でしたら、ご両親は寂しい思いをされているでしょうね」

「母親とはよく電話で話しているんですけどね……」


母からの結婚を促す電話は、相変わらず毎週のように掛かって来ている。
私の気持ちなんて知らない母の態度に苛立つ事もあるけれど、最近になってようやく適当にかわせるようになって来た。


「時間が出来たら、ご実家にお帰りになられてはいかがですか?」

「そうしようと思います」


微笑を零すと、マスターが私の瞳を真っ直ぐ見つめた。


「それから……ここにもまた、榛名さんとご一緒にいらして下さい」


続けて投げ掛けられた言葉に目を見開きそうになって、慌てて視線を伏せる。
それから笑みを繕って、ゆっくりと顔を上げた。


「えぇ、時間が出来れば……」


不自然にならないように心掛けたけれど、もしかしたら怪訝に思われただろうか。
無言のままニッコリと笑ったマスターからは、その真意は読み取れなかった――。

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