ラストバージン
「結木さん!」


電車に揺られて待ち合わせしている駅の改札口を抜けると、柔らかい笑顔の男性が私を呼んだ。


「こんばんは」

「こんばんは。すみません、お待たせしてしまって……」

「いえ。僕も、たった今来たところですから」


そう言って笑った高田さんは、きっと早くから待っていたとしても同じ台詞を口にするのだろう。
何となくそんな気がして微苦笑を零すと、彼が不思議そうな顔をした。


「どうかしましたか?」

「いえ……。スーツだからお仕事だったのかな、と……」


咄嗟に誤魔化すと、高田さんは疑いもせずに苦笑いを浮かべた。


「本当は休みだったんですけど、どうしても気になる事があったので午後から事務所で仕事をしていたんです」

「お疲れ様です。でも、お仕事は大丈夫だったんですか?」

「はい、元々休みですし。それより、ここじゃ何ですから行きましょう」

「あ、はい」


「こっちです」と笑う高田さんに頷き、何とか笑みを繕って付いて行く。


憂鬱なままの心は、今にもため息を生み出してしまいそうだったけれど……。誘いを受けたからには笑顔を絶やさない努力くらいは必要だろうと言い聞かせ、背筋を伸ばした。

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