だから私は雨の日が好き。【秋の章】※加筆修正版
気が付くと、私は右手を伸ばしていた。
その人の左腕に向けて。
引き締まったその腕は、見た目よりもずっとしっかりとしていた。
触れると固い筋肉で覆われていた。
そっと触れた瞬間、かすかに震えた。
「――――――呼んで」
「え?」
「呼んでくれよ。俺の、名前」
そう言って俯いてしまった。
そこから表情を覗くことが出来なくて、私は首を少し傾けた。
櫻井さんが見ていないこともちゃんとわかっていたのに。
「・・・櫻井さん?」
呼びかけても反応がない。
うなだれた首がそのままになっている。
少しだけ拳に力が入る。
「違う。・・・下の名前で、呼んでくれ」
「それは・・・」
「今だけでいいから・・・。湊じゃなくて、俺の」
一度も呼んだことのない、名前。
その名前は私の為にあるものではない。
名前は呼んでもらった声ごと耳に張り付いてしまう。
それは、櫻井さんを。
今よりずっと、縛り付けてしまうのではないだろうか。
私には呼べない。
呼んではいけない、と想う。