だから私は雨の日が好き。【秋の章】※加筆修正版
目の前は駐車場で、櫻井さんの車が見えた。
少しの沈黙を保ったまま、私たちは車に乗り込んだ。
皮のシートに身体を預けて、シートベルトを引こうとする。
けれど私の右手は冷たい櫻井さんの左手に掴まえられて、シートの端で少しだけ熱を奪われていた。
「ゆっくりでもいいから、頭の中でも『圭都』って呼んでみろよ。そのうち、それが普通になるさ」
櫻井さんの左手は、少し緊張していた。
ぎゅっと掴まれているのに、どこか不安げに力が入りきらずにいた。
いつもこの人を不安にすることしか出来ない。
けれど、確実な安心もあげられない。
今この瞬間だけでも、目の前の人を救ってあげたいと想う。
掴まれていた右手にしっかりと力を込めて、その左手を強く握る。
此処にいる、と。
「そうしてみる。圭都さんの名前が、いつもすぐに呼べるように」
呼んであげたいと想った。
この人の大切な名前を。
けれど、無意識のうちに『櫻井さん』という響きを守ってもいる。
そうしなければ、すぐにでもこの人の名前が私の心に染み付いてしまいそうで怖かった。
大切な人の名前が増えてしまった時、私はどんな風に変わっていくのだろう、といつも考えていた。