この愛に抱かれて
「あなたがどんな苦しい人生を歩んできたのか、私には分かりません。でも、兄にとっても苦しい人生だったんです。・・・そのことをあなたにも分かってもらいたくて」



「あの人の苦しみなんて、私に比べたら無いのも同然よ。
あの人には親もいれば妹もいる。心配してくれる友人に恋人もいる。・・・私には何も無かった。すべてを奪い去ったあの男が私は憎い」



「事故の後、刑務所に服役した直樹さんは別人のように変わったわ。楽しみのすべてを拒絶して、一度も笑わなくなった。
生きてはいても、死んでいるのと同じだった」



響子は複雑な思いで2人の話を聞いていた。



「15年経った今も、彼は月命日に必ずお参りにいっているの。
一日たりとも、あなたのご両親のことを忘れたことはないのよ」



それは響子にとって思わぬことだった。


茂と恵美子の遺骨は響子が春川家に引き取られたとき、一緒に渡されていた。


だから、いまも静岡の墓地に眠っている。


響子自身、墓参りをするのは年に一度だけだ。


直樹は、牧村夫妻に花を手向けるために加藤家の菩提寺に毎月出向いていたのだ。
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