the Blink
第二章
八月は忙しかった。
お中元やお盆の季節だし、夏休みに入るとスーパーは慌ただしくなっていて週に2回あった休みも、不定期で10日に一度休めればラッキーといった感じになっていた。
そんなこともあり植物園へは暫く行けずにいた。
休みの日は家でゴロゴロと過ごしていた。
ベッドに転がって壁に脚を投げ掛け、いつもみたいに大きく息を吸って頭の中にあるメロディを歌おうとすると、ふとあの人の事を思い出そうとする自分がいた。
でもどうしてだかハッキリと思い出せなかった。
「白いシャツを着ていて、身体は私よりずっと華奢で…」
そんなことを考えていると、口ずさもうとしていたメロディは頭の中から完全に消え去っていた。
突然携帯が鳴った。
「はい」
「おお!俺おれ!休みなの?今日」
「あぁ…うん」
「なんだよ…テンション低いな(笑)」
「ここんとこ休みなかったから疲れてんの」
「そうか…そういや最近来てなかったもんなー…」
「…あぁ…」
また、ふとあの人のことを思い出す。
「それでさぁ、お前駅前のしょぼい映画館、知ってんだろ?」
「え…あぁうん、たぶん」
「多分って(笑)なんかさーあそこでお前が好きな…あのー…小さな…小さな…」
「小さな恋の○○?」
「そう!それそれ!それやってるらしいんだよ!」
「ふーん…」
圭介はいちいちカナの返事を笑いながら
「ふーんって(笑)暇なら、見に行こうぜ!」
「いつ?」
「いつって…今からとか?」
「はっ?今からって…もう夕方じゃん!」
「レイトショーでやってんだよ!おばさん、いんの?」
「…いや、今日はお得意様?と食事会だって」
「じゃあいいな?商店街の入り口に18時な?」
「…あぁ…」
「遅れずに来いよ?」
「え…あぁ、うん。はいはい」
圭介との電話は大体いつもこんな感じだ。
「小さな恋の○○かー…」
そう呟くとベッドから上体に勢いをつけて起き上がった。眩暈がした。
外はまだ明るくて夕焼けもない空だった。夏だな〜、そう思いながらカナは商店街の方へ歩いた。
カナの家から商店街まではそう遠くなかった。夜から雨の予報だったから晴れているのにカナは傘を持っていた。
その傘の先端を軽く蹴飛ばしながら商店街近くの踏切までやってきた。
「ちょっと早過ぎたかな〜?まぁ丁度くらいになるかな?」
この踏切は一度閉まるとなかなか開かない。駅がすぐ近くにあるからか三本くらいまとめて通った後に、またすぐ一、二本通るからそのまま閉まっているのだ。
少し汗ばむような湿った空気にイラつきながらカナは踏切が開くのを待っていた。
「カンカンカン…」
テンポ良く音を刻む踏切。
「カンカンカンカンカッ…」
最後に少し歯切れの悪い音を響かせながら踏切が開いた。
と、同時にカナは正面を見て息を呑んだ。
あの人だった…
少し虚ろな瞳をして、でもその瞳はまっすぐカナの方を見ていた。
いや、カナを見ているわけではない、見えていないのだから。
でもカナには自分の方を見つめているように思えた。
あの日のように…
その人はゆっくりとステッキを前に出すと確かめるように歩き始めた。
カナはその一歩一歩をじっと見ていた。
動けなかった。
周りの風景はぼやけて見えるのに、その人だけははっきり浮かんで見えるような不思議な感覚を味わっていた。
はっきり思い出せなかった。
でもカナが過ごしてきた今までのじんせの中で感じたことのない感情を与えた人。その人が今まさにすぐ隣りを通り過ぎようとしている。
カナは思わずその人の腕を掴んだ。
驚いていた。それも当然だ。
いきなり誰かに腕を掴まれれば、そんなの例え目が見えていたって驚くだろう。
「あ!ごめんなさい!」
すぐに掴んだ腕を離した。
「あ…あの…私…」
言葉を遮るように、再び踏切の音が響き始めた。
「カンカンカンカン…」
「あっ…あの、えっと…」
そう言っている間にも閉まろうとする踏切。すると次の瞬間、その人がカナの腕を掴んだ。
ーーー「掴まって」ーーー
カナは一瞬にしてあの日の事を思い出した。
まるで走馬灯のようにあの日のことが、あの日の一瞬一瞬がカメラのシャッターを切るように頭の中に広がっていく。
その人は見えない目の前の道を確かめるように脚を引き摺りながら進み、カナを踏切の外に出した。
カナはあの日感じた感情を思い出していた。
心臓がふわっと浮いたみたいに心細く、でもとても温かい気持ち。
怒りにも恥ずかしさにも似た、でもとても愛おしい想い。
「あ!急にごめんなさい!あの…わたし…」
カナはそこまで言うと下唇を強く噛み締めた。
「マイアガラセタハナビラノヨウニイクツモノジカンノナカデタクサンノキミヲミセテヨアキルホドニ…♪」
「え?!」
カナは驚いた。それはとても小さくか細い声だった。
でもそれはカナがいつも、そうあの時も口ずさんだメロディだった。
そしてそのメロディにはカナの知らない詞が付いていた。
暫く黙ってから、その人は真っ白な顔を少し赤らめながらカナの声がした方を見つめて言った。
「あの時の…だよね?」
「分かるんですか?」
「うん…なんか腕を掴まれたとき、そうかな…って」
「今の曲…」
「あぁ…」
「詞なんてついてなかったのに…」
「素敵な曲だって…言わなかったっけ?僕…」
少し照れ臭そうに人差し指でこめかみの辺りを触りながら、その人は言った。
「詞つけてくれたんですか?」
「あ、いや…今のフレーズだけだよ。遠くから聴いてただけだったし、全部はちゃんと聴こえてなかったんだ」
「あ、あのもう一度歌ってくれませんか?」
ー舞い上がらせた花弁のようにいくつもの時間の中で…たくさんの君を見せてよ…あきるほどにー
その人は下を俯いたままで、少しだけまた優しく微笑んでいた。カナは身体の中心でとてつもない大きな炎が燃えているような感じで、カーッと熱を帯びていくのを覚えた。そして自分の頭の中にあったメロディが、今ほんの一小節でも歌になっている事に素直に感動していた。
あの日と同じように、太陽が少し西に傾いていた。
太陽の射す方に圭介がいた。圭介は困惑した顔をして、こちらへ早足で近付いてきた。
お中元やお盆の季節だし、夏休みに入るとスーパーは慌ただしくなっていて週に2回あった休みも、不定期で10日に一度休めればラッキーといった感じになっていた。
そんなこともあり植物園へは暫く行けずにいた。
休みの日は家でゴロゴロと過ごしていた。
ベッドに転がって壁に脚を投げ掛け、いつもみたいに大きく息を吸って頭の中にあるメロディを歌おうとすると、ふとあの人の事を思い出そうとする自分がいた。
でもどうしてだかハッキリと思い出せなかった。
「白いシャツを着ていて、身体は私よりずっと華奢で…」
そんなことを考えていると、口ずさもうとしていたメロディは頭の中から完全に消え去っていた。
突然携帯が鳴った。
「はい」
「おお!俺おれ!休みなの?今日」
「あぁ…うん」
「なんだよ…テンション低いな(笑)」
「ここんとこ休みなかったから疲れてんの」
「そうか…そういや最近来てなかったもんなー…」
「…あぁ…」
また、ふとあの人のことを思い出す。
「それでさぁ、お前駅前のしょぼい映画館、知ってんだろ?」
「え…あぁうん、たぶん」
「多分って(笑)なんかさーあそこでお前が好きな…あのー…小さな…小さな…」
「小さな恋の○○?」
「そう!それそれ!それやってるらしいんだよ!」
「ふーん…」
圭介はいちいちカナの返事を笑いながら
「ふーんって(笑)暇なら、見に行こうぜ!」
「いつ?」
「いつって…今からとか?」
「はっ?今からって…もう夕方じゃん!」
「レイトショーでやってんだよ!おばさん、いんの?」
「…いや、今日はお得意様?と食事会だって」
「じゃあいいな?商店街の入り口に18時な?」
「…あぁ…」
「遅れずに来いよ?」
「え…あぁ、うん。はいはい」
圭介との電話は大体いつもこんな感じだ。
「小さな恋の○○かー…」
そう呟くとベッドから上体に勢いをつけて起き上がった。眩暈がした。
外はまだ明るくて夕焼けもない空だった。夏だな〜、そう思いながらカナは商店街の方へ歩いた。
カナの家から商店街まではそう遠くなかった。夜から雨の予報だったから晴れているのにカナは傘を持っていた。
その傘の先端を軽く蹴飛ばしながら商店街近くの踏切までやってきた。
「ちょっと早過ぎたかな〜?まぁ丁度くらいになるかな?」
この踏切は一度閉まるとなかなか開かない。駅がすぐ近くにあるからか三本くらいまとめて通った後に、またすぐ一、二本通るからそのまま閉まっているのだ。
少し汗ばむような湿った空気にイラつきながらカナは踏切が開くのを待っていた。
「カンカンカン…」
テンポ良く音を刻む踏切。
「カンカンカンカンカッ…」
最後に少し歯切れの悪い音を響かせながら踏切が開いた。
と、同時にカナは正面を見て息を呑んだ。
あの人だった…
少し虚ろな瞳をして、でもその瞳はまっすぐカナの方を見ていた。
いや、カナを見ているわけではない、見えていないのだから。
でもカナには自分の方を見つめているように思えた。
あの日のように…
その人はゆっくりとステッキを前に出すと確かめるように歩き始めた。
カナはその一歩一歩をじっと見ていた。
動けなかった。
周りの風景はぼやけて見えるのに、その人だけははっきり浮かんで見えるような不思議な感覚を味わっていた。
はっきり思い出せなかった。
でもカナが過ごしてきた今までのじんせの中で感じたことのない感情を与えた人。その人が今まさにすぐ隣りを通り過ぎようとしている。
カナは思わずその人の腕を掴んだ。
驚いていた。それも当然だ。
いきなり誰かに腕を掴まれれば、そんなの例え目が見えていたって驚くだろう。
「あ!ごめんなさい!」
すぐに掴んだ腕を離した。
「あ…あの…私…」
言葉を遮るように、再び踏切の音が響き始めた。
「カンカンカンカン…」
「あっ…あの、えっと…」
そう言っている間にも閉まろうとする踏切。すると次の瞬間、その人がカナの腕を掴んだ。
ーーー「掴まって」ーーー
カナは一瞬にしてあの日の事を思い出した。
まるで走馬灯のようにあの日のことが、あの日の一瞬一瞬がカメラのシャッターを切るように頭の中に広がっていく。
その人は見えない目の前の道を確かめるように脚を引き摺りながら進み、カナを踏切の外に出した。
カナはあの日感じた感情を思い出していた。
心臓がふわっと浮いたみたいに心細く、でもとても温かい気持ち。
怒りにも恥ずかしさにも似た、でもとても愛おしい想い。
「あ!急にごめんなさい!あの…わたし…」
カナはそこまで言うと下唇を強く噛み締めた。
「マイアガラセタハナビラノヨウニイクツモノジカンノナカデタクサンノキミヲミセテヨアキルホドニ…♪」
「え?!」
カナは驚いた。それはとても小さくか細い声だった。
でもそれはカナがいつも、そうあの時も口ずさんだメロディだった。
そしてそのメロディにはカナの知らない詞が付いていた。
暫く黙ってから、その人は真っ白な顔を少し赤らめながらカナの声がした方を見つめて言った。
「あの時の…だよね?」
「分かるんですか?」
「うん…なんか腕を掴まれたとき、そうかな…って」
「今の曲…」
「あぁ…」
「詞なんてついてなかったのに…」
「素敵な曲だって…言わなかったっけ?僕…」
少し照れ臭そうに人差し指でこめかみの辺りを触りながら、その人は言った。
「詞つけてくれたんですか?」
「あ、いや…今のフレーズだけだよ。遠くから聴いてただけだったし、全部はちゃんと聴こえてなかったんだ」
「あ、あのもう一度歌ってくれませんか?」
ー舞い上がらせた花弁のようにいくつもの時間の中で…たくさんの君を見せてよ…あきるほどにー
その人は下を俯いたままで、少しだけまた優しく微笑んでいた。カナは身体の中心でとてつもない大きな炎が燃えているような感じで、カーッと熱を帯びていくのを覚えた。そして自分の頭の中にあったメロディが、今ほんの一小節でも歌になっている事に素直に感動していた。
あの日と同じように、太陽が少し西に傾いていた。
太陽の射す方に圭介がいた。圭介は困惑した顔をして、こちらへ早足で近付いてきた。