雨の日は、先生と
先生と遠慮がちに並んで歩く。
先生はコートのポケットに手を入れて、時折遠い目をしながら歩いている。

ラーメン屋さんを出てから、お互いほとんど無言で。
でも沈黙さえも温かいんだ。

私はひたすら家に着かなければいいのに、と願った。

しかし、無情にも家のそばの公園が見えてきて、私は急に心細くなる。


「先生、このあたりで結構です。」


「そう?じゃあ、私はこの公園を一周してから帰りますね。」


理由を訊かないのが、何より先生らしいと思った。
そういえば、一番最初に図書室で会った時も、教室に戻れなんて一言も言わなかったね。
でも、今私は教室にいる。

北風と太陽みたいに、先生は私のこと扱うのが上手い。
自然にそうしてるのか、わざとなのかは分からないけれど。

そしたらいつか、秘密を先生に明かす日が来るのかな――

その日はきっと、私が先生と会えなくなる日だろうな。


冷たい風が吹いて、体中を震えが走る。


「寒いね。」

「寒いですね。」


ごくたまに、敬語を崩す先生。
たったそれだけで、嬉しいと思ってしまう私。


「明日も補習ですからね。」

「はい。」


そこで、ふと思った。
補習はいつか終わってしまう。
そして私は、来年の春には卒業してしまう。
すべて、終わってしまう。

あたりまえのことが、衝撃となって胸に迫ってきた。


「どうしたの。」


急にうつむいた私に、先生はいつもの口癖を発する。


「先生。」

「はい。」

「補習、いつまでですか?」


その質問をするのには、とても勇気が必要だった。

でも、私は現実を知っておかなければならない。
こんな優しい日々がいつまでも続くなんて、そんなふうに考えていてはいけない。

だって、いつか必ず終わりが来る。
人生はそう、決まっているのだから。


「いつまででしょうね。」


先生はそう言って、遠くを見るような目をした。


「焦らなくていいんですよ、笹森さん。」

「はい。」


違う、違うんだ。
短くしてほしいわけじゃない。

心の声で、私は思い切り叫ぶ。
先生の勘違いを解きたい。
そうじゃないんだって、言いたいけれど――


「大丈夫です。そんな不安な顔をしないで。」


だって、先生。


「明日も明後日も、その次も。ずっと補習です。」


「え?」


「私はどこにもいかない。巣立つのはあなたじゃないですか、笹森さん。」


誤解されたと思ったのに、伝わっていたことに驚く。
そして、その言葉に、胸いっぱいに温かいものが広がっていくのを感じる。


「先生……」


「はい。」


「よかった。」


心からの気持ちを伝えると、先生は小さく笑った。


「嫌がらないんですね。」


「え?」


「補習、です。」


「あっ。」


確かに、おかしかったかもしれない。
これじゃあ、まるで補習を喜んでいるみたいで。


「私、数学嫌いじゃないんで。」


「そうですか。それは良かった。」


そう答えながら、先生は笑う。
まるで、すべてを知っているかのような顔で、包み込むように笑う。


「では、そろそろ。」


笑った顔のままで、さよならを切り出す先生に追いすがりたくなる。

だけど、私にはそんな権利はない。
先生は私のものじゃないから。

私には先生しかいなくても、先生は違う。


「さようなら。今日は、ごちそうさまでした。」


「いいえ。内緒ですよ。」


うなずいて顔を上げると、先生はもう帰りの一歩を踏み出していた。
小さく手を上げて、その顔が、体が、私の反対側を向いていく。

先生はここから、ずっと自宅の方向を見ながら歩いていくんだ。

家に帰ると、きっとあったかい電気が点いていて。
「おかえり」って言ってくれる人がいて。

愛する人とひとつ屋根の下、一生の愛を誓って。
これまでも、これからもたった一つの愛を守っている。


だけど、夜目を閉じる前、一日を振り返った時。

私のこと、1秒でも思い出してくれるのかな。


先生の背中はもう、はるか遠くで。
それなのに私は、見送った場所から一歩も動いていない。


あまりにも立場が違いすぎて、あまりにも悲しすぎる恋。

最初からハッピーエンドはないんだと、分かっている恋。


だけど、もう無かったことにはできないから苦しい。

何度心にふたをしようとしても、持ち上がってきてしまうのが悔しい。


結局私は、その後ろ姿が暗闇に消えるまで、ずっと見つめていたんだ――
< 13 / 119 >

この作品をシェア

pagetop