雨の日は、先生と
マエゾノさん―――

その人は不思議な人だった。

それからというもの、頻繁にうちに出入りするようになった彼。

穏やかなその人はどこか、天野先生に似ていて。

母もマエゾノさんが来てから、少し変わったような気がする。


今までは、自分を棄てていた母。

自分の子どもを憎んでいた母。

濃い化粧で心まで塗り固めてしまったような、表情のない顔で。


だけど、最近の母は、楽しそうだ。

普段しない料理を始めたり、部屋が綺麗に片付いていたり。


何より、一番は仕事から早く帰ってくるようになったこと。


いつでも夕方に出て行って、日が昇ってから帰ってきていた母が、最近では夜明け前までには帰ってきている。



マエゾノさんは、我が家に明るい光を連れ来たかのようだった。



「唯ちゃん」



彼は私のことをそう呼ぶ。

大路さんのことがあってから、家に出入りする男の人には用心しなければ、と思っていたけれど。

マエゾノさんが纏う優しげな雰囲気は、そんな考えを持つこと自体、失礼だと思ってしまうくらいだったから。



「マエゾノさん。」



彼は苗字しか教えてくれなかった。

それは、母に対しても同じらしい。


だけど「怪しい」と思わせないくらい、マエゾノさんはいつも穏やかに笑っていた。

まるで、悩みなんてひとつもないと言うように。



「唯ちゃんは、クリスマス誰かと過ごすの?」


「ええ。」


「敬語はいいって言っただろ。」


「あ、……うん。」



マエゾノさんは、少し残念そうな顔で頷いた。



「そっか。じゃあ仕方ないね。」


「え?」


「いや、ほら。せっかくだから、3人でお祝いしようかって思ったんだけどね。」


「あ……。」



チクリ、と胸が痛む。

私は、天野先生を選んでしまったんだ、と思った。



「いや、いいんだよ。唯ちゃんくらいの年で、家族より大切な人がいるのは素敵なことだ。」


「ごめんね。」


「いいんだって。……あ、俺家族じゃなかったな。ごめん。」



そう言って笑うマエゾノさん。

ああ、いいな、と思う。



マエゾノさんがいてくれたら、もしかして、このまま、この家を立て直すことができるのではないだろうか。

壊れた母のことを、この人なら優しく包んでくれるのではないか。



「マエゾノさん。」


「なに?唯ちゃん。」


「お願いがあるの。」


「なんだー?言ってみろ。唯ちゃんのお願いなら大抵のことは聞くよ。」



あのころの私は、なんて短絡的で安易だったんだろう。

マエゾノさんにお願いすれば、どんなことだって叶うと思っていたんだから。



「これからもずっと、うちにいてほしいな。」



「唯ちゃん、ごめん。それだけは約束できないよ。」



そう答えた時のマエゾノさんの寂しそうな表情は、どこかで見たことがあった。

彼の顔に一瞬だけかかった暗い影を見てしまって、私はもう、何も言えなかったんだ―――
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