フラグ
1st.Flag~最初のフラグ
1972年
世は空前の第二次ベビーブーム
場所は、大阪府のニュータウンを唄う集合住宅地いわゆる団地
そこで産まれた
『川上貴隆【かわかみきりゅう】』によってこの物語の歯車は回り出す。
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1975年
3才になった頃
母親と団地裏の公園で公園デビューを果たした。
俺は母親に毎日公園に連れて行って貰ってた。
大きくなったお腹を撫でながら公園のベンチに座る母親に見守られながら、公園で毎日会う女の子と砂場で山を作りトンネルを掘って遊んでた。
その女の子とは毎日会うからか凄く仲が良くてよくこんなことを言った。
「大人になったら結婚しようや!」
女の子は「ええよ!大人になったらぜったいしよ!」って言ってにっこり笑ってくれた。
そう女の子、髪の長い女の子だった。
それを母親はいつもニコニコして見守ってくれてた。
その後この光景を幾度となく夢で見ることになる。
そう…大人になってからも…
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幼稚園に通う頃にはワンパ小僧丸出しで同い年の園児を良く泣かせては笑わせ、先生には良く怒られては泣いて帰ってた。
そんなときは向かいの棟に住む幼なじみの『明神佐知子【みょうじんさちこ】』が「りゅうちゃんだいじょうぶ?」
って何回も何回も泣き止むまで聞いてくれた。
何故か幼稚園の行き帰りも遊ぶ時もいつも金魚の糞のようについて来た。
その頃
妹の『川上舞【かわかみまい】』が産まれた。
その時は跳び跳ねて超喜んだのを覚えている。
幼稚園を卒園し小学校に入学して更に友達も増えた。
その中でも『中嶋健太【なかじまけんた】』とは生涯を共にする悪友と言う名の親友になることになる。
ちなみにこの頃から始まった機動戦士ガンダムは健太の聖書となる。
早く言えばガンオタ。
小学校での日常は、キン肉マン人気もありキン肉バスターをやろうとして失敗し頭を床に打ち付けたり、北斗の拳の秘吼を突き過ぎて喧嘩になったり、とにかく毎日が楽しかった。
学校が終わるとドッヂボール、家に帰ると妹のお世話に癒され毎日のように幼なじみの佐知子と健太と遊んで充実してた。
妹が幼稚園に入る頃を気に父親が学区内も同じで団地の近くの一軒家を購入して引っ越しし、一人部屋になり凄まじくテンションが上がり喜んだ。
少し家は離れたが、幼なじみとも相変わらず仲が良く学校行くのも帰るのも相変わらず一緒で、学校のやつらには「夫婦や!川上夫婦や!」とか冷やかされたりしてたが、俺たちは全然気にしなかった。
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時は流れ1983年4月中旬
妹が小学校に入学して一年生、俺が五年生のに事件は起きた!
授業中に教室のドアが勢い良く開き教頭先生が慌てて入ってきた。
「川上君すぐに帰る準備をしなさい!お父さんが倒れたそうだ!」
「え?」
俺はすぐにランドセルに全部入れて席を立った。
教室のみんなが俺を凝視してるが何も見えなかった。
とにかく急いで教室から出たら廊下に舞と手を繋ぎ母親が待って俺の手を取って3人で走った。
母親が運転する車に乗り母親の顔を見た。
「お父さん大丈夫やんな?」
「・・・」
こんな青ざめた顔の母親を見たことなく不安になりもう一度大きい声で聞いた。
「お父さん大丈夫やんな!?」
「えっ!?」
我に返ったように母親は言った。
「分からへんわ・・・脳梗塞で倒れたみたいやから・・・・・」
「のうこうそく?」
その時初めて聞く言葉、それがどんな病気なのか全然知らなかったし、どれくらいヤバい事かもその頃の俺には分からなかった。
病院に着いて物々しい病室に案内され、母親はすぐに担当医師らしい人に呼ばれ「隆、お母さんお医者さんの話し聞いて来るから舞とここで待ってて」って言われた。
「うん。」
それだけを聞いて母親は担当医師と病室を出て言った。
「お父さん?」
まったく返事も動きがない、それどころか身体中に付いてるチューブやホースや物々しい機械類が色々物語ってた。
(お父さん死んでまうんかな?)
そう思ったら泣きそうになったが舞がいるから必死で我慢した。
さすがに舞も感じる物があったらしく泣きはじめた。
その時は咄嗟に舞を抱き締めて父親を見えないようにした。
「大丈夫!舞は俺が守るから!」
「ヴッグゥゥ」
「大丈夫やし!なっ?」
「・・・うん」
凄い長い時間に感じたけど、実際には10分か15分くらいしたら母親が帰って来た。
じっと母親が父親の顔を見て涙を流した。
そして「隆、舞、お父さんの顔を良く見とき・・・」と静かに言った。
舞は、また泣き出したが俺は泣くのを我慢して舞の頭をずっと撫でた。
母親が立ち上がって「お母さん電話してくるからまた待ってて」
病室から出ていくときに俺の耳元で「舞、頼むよ」って言った。
それから母親が戻って来てからは3人でずっと父親の顔を見てた。
夕方くらいから父方の祖母や親戚、母方の祖父母がやって来てみんな泣いてた。
俺は舞の為に必死で我慢した。
その日の19時12分、父親は亡くなった。
それからは放心状態と舞を慰めるだけで何が何だか分からないままお通夜になり、佐知子と佐知子の両親が来た。
お通夜が終わって参列者が帰って行く中、佐知子が隣に来て「ちょっと外行かへん?」って言って来た。
舞の顔を見たら佐知子のお母さんが察したように「舞ちゃん、おばさんとジュース飲みに行こう」
「うん」
と言って舞と佐知子の両親は式場から出て行った。
それを見てた俺に佐知子が「行こう」って言ってきたので「あぁ、うん」
って言って付いて行った。
式場の建物から出て佐知子の後ろをただ付いて歩いた。
こんな気分じゃなければ気持ちいいんだろうなって風が吹いてた。
式場から少し歩いたところで川が流れてて川の河川敷に下りて行く。
河川敷に下りたところで佐知子が急に振り返ってじっと潤んだ瞳で見つめてきた。
スタスタと俺の方に歩いて来て目の前まできた瞬間俺の頭を両腕で抱えて胸に押し付けるように抱き締めてきた。
「!!?」
俺はひたすらびっくりしたが続けて佐知子は俺に言った。
「式場来たら泣くの我慢してる隆ちゃん見てウチが泣き出しそうになったわ・・・舞ちゃんがいるしなんやろ?」
俺は佐知子の胸に顔を埋めて両腕を佐知子に回した。
「今は、ウチと隆ちゃんしかおらへんし泣いたらええやん・・・」
「ああああああ~~!!」
大声で泣いた。
緊張が切れてもう涙が止まらなかった。
どれくらい泣いていたんだろうか?
涙が止まり佐知子と横に並んで夜の川を見ながら座ってた。
「隆ちゃんは昔から舞ちゃんに優しかったもんな」
「そら妹やしな・・・」
こっちを見てニッコリ笑って佐知子が言った。
「あはは、ウチにも優しくしてよ」
「してるやろう?」
「うん!されてる。」
「なんやねんそれ?」
「あはは」
「だからウチも隆ちゃんに優しくすんねん」
「恥ずいわ!」
佐知子は立ち上がりながら「隆ちゃんもちょっと元気になったし、そろそろ戻ろっか」って言った。
俺も立ち上がって「そやな、よし!行こう舞も待ってるしな」
二人で式場に戻ったら舞が「お兄ちゃん!」って走って来た。
舞の頭を撫でて「お利口さんにしてたか?」って言ったら「うん!」って笑って答えた。
佐知子の両親に「ありがとうございました。」って言ったら佐知子のお母さんが「ええよええよ、頑張ってね」って言って佐知子の両親は帰って行った。
そして佐知子も「お兄ちゃんがんばれ!」って言うと両親の後を追って帰って行った。
その頃には母親も一段落ついてたみたいだったが「お母さんは今日ここに泊まるからおじいちゃんとおばあちゃんで家に帰り」って言ってきた。
父方の祖父母と式場に今日は泊まるみたいだった。
俺は「うん」って言って舞の手を取り母方の祖父母と家に帰ってその日は舞と一緒に寝た。
-翌日-
お腹の大きい母が公園のベンチに座って俺に微笑みかけてる。
「大人になったら結婚しようや!」
「ええよ!大人になったらぜったいしよ!」
髪の長い女の子、相変わらず女の子の顔には霧がかったようになってて顔は分からない。
またこの夢で目が覚めた。
昨日、佐知子との事があったからかな?とか思いながら舞をお越し眠そうな舞と仕度をした。
朝から祖父母に連れられ舞と一緒に式場に行き葬式が始まったが昨日の佐知子の一件で気分は楽だった。
火葬場ではさすがに泣きそうになったが我慢出来た。
火葬場から式場に戻って昼御飯を食べたらまた祖父母と先に家に帰っといてって言われたので家に帰った。
あっという間だった・・・
家に帰ると寂しくて悲しくてボーっとしてた。
夕方くらいに呼び鈴が鳴った。
玄関に出てみると健太が立っていた。
「おぅ健太」
「隆、これで元気出せや」
健太の手には赤いガンプラがあった。
「健太これって・・」
「シャーザクや!」
「シャーザクって健太一番大事にしてるやつちゃうん?」
「今、シャーゲル作ってるからシャーザクやる!やし、元気出せや!」
「おぅ・・・ありがとうな・・・」
「おぅ!ほなな!はよ学校こいよ!」
それだけ言って健太は走って帰って行った。
子供ながらに焦燥仕切ってた数日だったが幼なじみと親友の優しさで何とか元気に舞と学校に行けそうだ。
久しぶりの学校の登校日の朝、佐知子が迎えに来てくれて俺と舞といつも以上に笑顔を振り撒く佐知子と三人で学校に行った。
舞を舞の教室に送って、佐知子とは教室が違ったから俺のクラスの前で別れて自分の教室に入ったらクラスのみんなが「大丈夫?元気出せや!」と口々に元気づけてくれた。
父親が亡くなって悲しくもあり凄く暖かい気持ちにもなった。