四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
目覚めると、体中が痛くて思わずうめいた。


「起きたか?」


見ると、枕元にはいつもと違って眼鏡をかけた夏目が、椅子を出して座っていた。

そばの机に、本を伏せるところだ。


「先生。」

「大丈夫?骨は折れてないみたいだ。良かったな。ただ軽い脳震盪を起こして、今まで気を失ってたんだ。」

「そっか。」

「ばかだなぁ。階段で転んだんだろ?危ないから気をつけろ。」


階段で転んだ、か。

一瞬篠原さんのことを言おうかと思った。
でも私の中の何かがそれを妨げた。


「うん。ばかだよね、ほんとに。」

「なんか用事でもあった?」

「質問があった。」


思わず笑いながら言った。


「ふふ、ちょうどぴったりだ。」

「え?」


私は体を起こそうとして、またうめいた。


「ばか、起きちゃだめだ。まだ安静なんだから。」

「ちょっとだけ!」


夏目は困ったように笑って、起きるのを手伝ってくれた。


「これ!」

「はぁ?」


私が指差したのは点滴のパックだ。


「人間の体液の浸透圧は0.9%だよね。」

「そうだよ。」


夏目は合点がいったというふうに笑った。


「他の動物だと違うの?」

「お前、そんなことが聞きたかったのか。」


夏目は気の毒げに私を見る。

そしてベッドの端に座った。


「カエルの体液の浸透圧は0.65%くらいだよ。点滴に入ってる生理食塩水は、人間の体液と等張に調節された液だ。哺乳類はほとんどが0.9%、両生類は0.6%くらい。」

「久しぶり。」

「え?」

「先生の生物の話聞くの、久しぶり。」

「また話してやるよ、いくらでも。だから今日はこのくらいで、大人しく寝てろ。」


夏目は私の背中を支えながら、またそっと寝かしてくれた。

嬉しかった。

いくらでも話してくれる。
そんなこと言ってくれるなんて。


でもその時、私の中に篠原さんの「邪魔しないでよ」という言葉が響いた。

そして、夏目を裏切ってしまったことを思い出す。
こうして一緒に笑い合うことさえ、罪なのだと思えてくる。


「先生。」

「ん?」

「もう……、もう来ちゃだめだよ。」

「え。」

「来ちゃだめ。もう……、来ないで。」


夏目はしばらく考えるような表情をした後、無言でうなずいた。

私は泣きそうになって、でも必死でこらえた。


「ここにお前の荷物があるから。じゃあ。」

「……ありがと、先生。」


夏目は軽く手を上げると部屋から出て行った。

私はその背中が見えなくなるまでじっと見送っていた。


完全に見えなくなった頃、私は一人残された病室で、静かに泣いた。

あなたに寄り添うことはできなくても、一生あなただけを愛していたい。

そう思いながら―――
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