四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
その日は解剖だった。

鶏頭水煮というものがある。
ニワトリの首から上の部分だけ、水煮にしてあり、大きな缶にいくつも入っている。
本来は犬などの餌として売られているものだが、鳥の脳の解剖には使いやすい。


でも私はずっとこの解剖が嫌だった。

嫌でも思い出す。

なつのことを。
なつの運命を。

そして、あの夏の日の、夏目のことを。


どうして月日はこんなふうに流れていくんだろう。

どうしてみんな変わってしまうのだろう。


そんなことを考えて私はうつむいていた。


――あ、私のとこ、メス無い。


こういう時って篠原さんに言わなきゃいけないのかな……。

でもこれも意図的な気がして、言い出すのは嫌だった。


まあいいか。
メスがないなら解剖できないし。

解剖しなくて済むなら、それに越したことはない。


私は回転椅子を窓の向きに回転させて、机に頬杖をついた。


顔にあたる日差しが、夏の日差しを思い起こさせる。

一緒にバスを待っていて、笑ってくれた夏目の横顔。
陽が透けて、少し茶色っぽく見える髪。
何より私に向けられる、一点の曇りもないまなざし。

もう見ることなんてできなくて。


「小倉、何してる?」


夏目の声ではっと我に返った。


「あ、いえ……。メスが無かったので。」

「え?」


夏目は眉をひそめる。


「これ準備してくれたのは篠原さんだけど、さっき俺確認したぞ。どの机にもあったはずだけど。」

「なかった。」

「そう……。それなら、篠原さんに言ってもらってきて。置いてかれるぞ。」

「はい。」


私は篠原さんのいる教卓の近くへと歩み寄った。


「あの、メスがないのですが。」

「え?そんなわけないでしょ。」


篠原さんは一言言うと、私に背を向けた。


「ないって言ってるでしょ!」


思わず叫んだ私に、クラスの注目が集まる。

篠原さんはわざとらしく怖がりながら夏目のそばに寄った。


「夏目先生、この子メスを隠したのよ。何するか分からないわ。」


夏目は私を見つめる。

ちがうよな?

その目はそう語っていた。

私は必死で応えた。


ちがう、ちがうよ――


「篠原さん、小倉は……、小倉はそんなことしない。」


夏目はきっぱりと言った。

私は思わず、泣きそうになってしまった。


「夏目先生……。じゃああなたは、」

「小倉はしないよ。」


そう言って夏目は篠原さんに歩み寄ると、彼女のポケットから素早くメスを取り出した。


「ここにあるんだから。」


篠原さんの顔から血の気が引いていく。

夏目は目を伏せて、メスを私に手渡した。


「ありがと、先生。」


そう言うと、篠原さんは私をきっとにらんだ。

その隣で夏目は、心配になるほど悲しそうな顔で佇んでいた―――
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