四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
「じゃあ、君のことを聞く前に、俺のことを話そうか。……聞いてくれる?」

「うん。」


うなずきながら、正直怖かった。

夏目のどんな話を聞いても、私は夏目のことを嫌いにならない自信はある。

そうではなくて。

夏目と同じように、すべてを話す決意はまだできていなかったから。


「おととし、ここに来る前の前の年のことなんだけどね。俺、バイクで事故を起こしたんだ。」

「え、」

「これ、その時の傷。」


夏目は浴衣の袖をめくって、腕にできた傷跡をみせた。

いつも長袖の白衣を着ていたから、気付かなかったけれど、それは思いのほか大きな傷だった。

深いけがだったんだろうな、と思う。


「その時、後部座席に乗っていた人は、亡くなった。」

「……。」

「それは、俺の大切な人だった。」


静かな静かな口調で夏目が言った。


「付き合ってたの?」

「いや。……前にさ、永遠の片思いって言っただろ。彼女には一度も、思いを伝えたことがなかった。そして彼女も。」

「だから……。」

「あの日は、俺が無理矢理連れ出したんだ。バイクに乗るような人じゃなかったのに。俺は勝手だった。彼女を連れて行きたい場所があって。」

「どこに?」

「山道を登っていって、そして、月と夜景が綺麗な場所で、思いを伝えようと思っていたんだ。彼女はそんな俺の気持ちに気付いていたんだと思う。だから、最初は嫌がっていたのに、最後には、いいよって。」

「……。」

「俺が、彼女を殺したんだ。」


違う、と言いたかった。

運が悪かったのだと。

夏目のせいじゃない、と。


でも言えなかった。


自分も同じように、母を殺したと思っているから。

でも、私の場合は過失じゃない。

その分だけ、罪は重いのだけれど。


「山の坂道でね。カーブを曲がりきれずに、」

「もういいよ。先生、もういいよ。」


夏目の浴衣の袖をぎゅっとつかんだ。

静かな口調と裏腹に、燃え盛る夏目の後悔と、悲しみが、震えになって伝わってきた。


「それに俺は、篠原さんも裏切っていた。……最初から、愛してなんていなかったんだ。」

「じゃあ、どうして、」

「当てつけだよ。」

「え?」

「君に、詩織に対する、あてつけ。」

「どういうこと?」


当てつけ、の意味がよく分からなかった。
どうしてそこで、私の名が出てくるのかさえも。


「俺はもう、誰のことも愛さないと決めた。あの日に、誓ったはずなのに。」

「うん。」

「誓ったはずなのに、俺は……君を愛してしまった。」


私は、はっと息を呑んだ―――


「愛してしまったんだ。……教え子である、君をね。」


夏目が言葉を切ると、部屋に静寂が訪れる。


「嬉しいよ。……嬉しいよ、先生。」


夏目は微笑んだ。


「嬉しいけど……、」

「けど、なんだ。」

「本当の私を知っても、嫌いにならないでね。」


無理な注文だと分かっている。

でも、夏目を信じたかった。


どうしても一度、信じてみたかったんだ。


夏目はうなずいた。


私は泣きそうな顔で、微笑んで見せた。
< 148 / 182 >

この作品をシェア

pagetop