四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
「失礼します。」


さっきから職員室の前で10分も悩んでいた。

その間に同じ先生に何度か見つかって、心配されたくらいだ。

意を決して職員室の扉に手をかけると、やっと覚悟ができた。


でも、こんなに悩んだのに、職員室に夏目はいなかった。

机の上に、小さなメモが置いてある。


「生物準備室にいます。」


なら、どうして最初からそう言ってくれないものか。

私はちょっと拍子抜けして引き返した。


生物準備室の前に行くと、さっきの決意はいとも簡単に崩れた。

中にいる夏目の気配を感じながら、またもや私は躊躇する。

ああどうしよう……。

でも行くしかない。

そう思ってドアノブに手をかけたところで、内側から扉が開いた。


「わっ、な、つめせんせ、」

「どれだけ迷えば気が済む。日が暮れるぞ。」


見上げると夏目は、目をそらした。

でも、その口元にほんのりと笑みが見えて、私は安心した。


「で、どうした。説明しろ。」


私の向かいに座って夏目が言ったのはたったそれだけだった。

説明しろと言われても、自分でもよく分からないのだから、説明のしようがない。


「分からないです。」


正直に言ったつもりだった。

でも、夏目は悲しそうな顔をした。


「分からないっていうのは生物じゃなくて、その、自分の気持ちってことでいいか。」

「……はい。」

「そうか。」


夏目は短く息を吐いた。


「お前ができるのは分かっているが、名目上補習をしなければならない。」

「補習……。」

「そうだ。明日の放課後、もう一度ここに来い。明後日はテストだ。でも、そのテストで満点を取っても、悪いが平均点しかやれない。赤点を取るということはそういうことだ。」


なんて返事をしたらいいのか分からなかった。

大学に行くつもりがないのだから、正直成績なんてどうでもいい。

でも、成績表には「5」以外がついたことがなかった。

今年の生物の成績は5にはならないだろうな、漠然とそんなことを考えた。


「聞いてるのか。」

「はい。」


夏目が怖いと思った。

笑ってくれない夏目が、目を合わせてくれない夏目が、怖かった。


私の指先の震えに気付いたのか、夏目ははっとした顔をした。


私は夏目が口を開く前に、席を立った。


「失礼しました。」

「……ああ。」


夏目は開きかけた口を、諦めたように閉ざした。

私はなるべく夏目の顔を見ないようにしながら、ドアを閉める。


結局最後まで夏目は、小倉とは呼んではくれなかった―――
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