四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
家に帰ると、もうすでに父が帰っていた。

私はびくびくしながら、自分の部屋に行こうと階段をのぼりかけた。


「詩織。」


硬質な父の声が響く。

振り返れないでいる私の背後に、父が近づく気配がした。

息がかかるほどの距離まで詰めて、ささやくような声で父が言う。


「なぜ断った。」

「……。」

「あの男が好きなんだろ?そうなんだろう。……ばかな!」


父がふっと笑う。

私の腕には鳥肌が立った。


「俺の計画は無になったじゃないか。」

「え?」


――計画?


そこに続く父の言葉を聞きたくなくて、私は階段を駆け上がった。

それでも声は追いかけてくる。


「あの大企業の小原を巻き込めば、日本でも有数の大規模企業になれるところだった。あの息子は次期社長、お前は社長夫人だ。何て素晴らしい人生だろう!……あんなみすぼらしい教師がお前に何をしてくれた?どれだけ楽しい人生が待っていると思ってる?現実は甘くないぞ……。」


部屋のドアをバタンと閉めて、大きく息をつく。

父の声はもう届かない。


政略的な婚約だったわけだ。

私は父の駒でしかなかった。

最初から父はそういうつもりで私を引き取ったんだ。


優しいふりをして。

私を救い出したふりをして―――


信じない。

もう信じないよ。


夏目以外は。


私は再びドアを開けた。

階段を駆け下りる。


「どこへ行く?」


父の問いかけを無視して玄関へ向かう。


「あの男のところだな?行かせないぞ。行かせるわけがない。」


父が追ってくる。

私は玄関のドアを開けて、全速力で走った。


振り返って父が見えなくなっても、私は走り続けた。

この悲しい現実から目を背けるように。


1cmでも、夏目のそばにいられるように。
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