そばにいたこと
学校に行っても、授業なんて耳に入ってこない。
でも、ひたすらに集中しようと努めた。

もし、僕がいつもの僕でなくなってしまったら。
簡単に運命に負けてしまうような気がするんだ。


沙耶が学校から姿を消したことで、みんなは僕が、沙耶と別れたと思っているらしい。
野球も失い、彼女に捨てられた男。
そんな憐みのこもった視線が、向けられていることに気付いている。


その日、一刻も早く病院に行きたいのに、下駄箱のところで一人の女の子に呼び止められた。


「あの……春岡、くん。」

「何?」

お願いだから早く言ってほしい。
僕は焦る気持ちを懸命に抑えながら、その子を見た。

「えっと……私……。」

「早く。」

「え?」

「早く言って。」

その言葉に、傷付いたような顔で彼女はうつむいた。
僕の言葉は、逆効果だったようだ。

「あ、のね。……私、」

もじもじと指を組み直す彼女が憎らしい。

告白なんてされたこと、数えきれないほどある。
特にピッチャーだったころは、知らない女子が告白してくることが多かった。

「春岡くんのことが、……ずっと前から……」

「うん。」

「すき、です。」

意を決したように言った彼女が、顔を上げて僕を真っ直ぐにみつめる。
確かに可愛らしい顔立ちをしている。
ぱっちりした二重瞼に、整った形の唇。
ふたつに結んだ髪は、さらさらと肩に掛かっている。

でも、その根性が僕には腹立たしい。
僕が勝手に別れたと思って、告白してくるその心が。

「ごめん、まだ沙耶と別れてないから。」

「え?」

当惑したような顔で彼女が首を傾げる。

「じゃあ、伊藤さん今どこにいるの?」

「それは君には関係のないことだ。」

「でも……別れるんでしょ?」

ためらいがちに彼女が発したその言葉が、僕に火をつけた。
沙耶を失う予感に乱れていた胸が、またかき乱されたような気がして。

「ふざけんなよ。」

低く発した声は、彼女を震え上がらせるには十分だった。
それもそのはず。
学校では、僕はあまり感情を表に出さないから、怒ったことなんて一度もなかったんだ。

「沙耶を愛してるんだ。」

それだけ言うと、僕は走り出した。
一秒でも早く、君に会いたいんだ。
一日我慢したから、許してくれるだろう?

駐輪場から自転車に乗って、思い切り坂を駆け下りる。
隣町の病院は、思ったよりずっと遠い。
僕は汗だくになりながら、君のことだけを思い描いて走り続けた。
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