そばにいたこと
息を切らしながら病院の階段を駆け上がった。
沙耶の病室には、相変わらず「面会謝絶」の文字がある。
僕は勇気を出して、扉をノックした。
「はい。」
やっぱり沙耶ではない。
「春岡です。」
扉の鍵がカチリ、と開いた。
「どうぞ。今、沙耶は落ち着いてるから。」
僕に目を合わせずに、その人は疲れたような声で言った。
昨日、僕が後姿を沙耶と間違えたのは、この人だ。
きっと沙耶のお母さんなのだろう。
僕を部屋に入れた後、その人は部屋を出て行った。
きっと、こうなることを望んでいなかったのだろうと思うと、悲しい。
「沙耶。」
「ん、……あ、春岡くん!」
驚いたように布団を鼻まで上げる彼女が、たまらなく愛おしかった。
「なにびっくりしてんの?」
「だって……来てくれると思わなかったから。」
「来るに決まってるだろ。」
沙耶は青白い顔を、ほんの少し赤らめた。
「昨日ね、……ほんとにびっくりした。」
「昨日?」
「我慢できなくて、電話しに行ったら……春岡くん、後ろからぎゅって。」
思い出したように幸せそうな顔になる君。
「もう一回やる?」
「やだもう、恥ずかしいよ!」
赤らめた顔を隠すように布団を引き上げた彼女の手を、そっと取る。
すべすべした手の甲を撫でた後、一瞬だけそこにキスをした。
「今何したの?」
「教えない。」
「春岡くんってば!」
今度は僕がそっぽを向いて、赤らんだ顔を隠さなければならなかった。
「春岡くんったら、悪い人!」
君の声が、僕の中で優しく広がっていく。
僕がそっぽを向いたのは、何も顔が赤くなったからだけではない。
込み上げてくるうれし涙を、必死に隠していなければならなかったのだ。
そんな僕の手を取って、彼女は奪い返すように手の甲にキスをした。
振り返ると、彼女の目にも涙が浮かんでいて。
ふたりで、共犯者の目をして笑ったね。
あの頃は、不幸せの中でも二人でいれば、幸せだったんだ。
君もそう思っていたのかな。
一瞬でも幸せだと思える時間があったなら、僕がそばにいたことのすべてが否定されるべきものではないと、今でも僕はそう思っているんだ――
沙耶の病室には、相変わらず「面会謝絶」の文字がある。
僕は勇気を出して、扉をノックした。
「はい。」
やっぱり沙耶ではない。
「春岡です。」
扉の鍵がカチリ、と開いた。
「どうぞ。今、沙耶は落ち着いてるから。」
僕に目を合わせずに、その人は疲れたような声で言った。
昨日、僕が後姿を沙耶と間違えたのは、この人だ。
きっと沙耶のお母さんなのだろう。
僕を部屋に入れた後、その人は部屋を出て行った。
きっと、こうなることを望んでいなかったのだろうと思うと、悲しい。
「沙耶。」
「ん、……あ、春岡くん!」
驚いたように布団を鼻まで上げる彼女が、たまらなく愛おしかった。
「なにびっくりしてんの?」
「だって……来てくれると思わなかったから。」
「来るに決まってるだろ。」
沙耶は青白い顔を、ほんの少し赤らめた。
「昨日ね、……ほんとにびっくりした。」
「昨日?」
「我慢できなくて、電話しに行ったら……春岡くん、後ろからぎゅって。」
思い出したように幸せそうな顔になる君。
「もう一回やる?」
「やだもう、恥ずかしいよ!」
赤らめた顔を隠すように布団を引き上げた彼女の手を、そっと取る。
すべすべした手の甲を撫でた後、一瞬だけそこにキスをした。
「今何したの?」
「教えない。」
「春岡くんってば!」
今度は僕がそっぽを向いて、赤らんだ顔を隠さなければならなかった。
「春岡くんったら、悪い人!」
君の声が、僕の中で優しく広がっていく。
僕がそっぽを向いたのは、何も顔が赤くなったからだけではない。
込み上げてくるうれし涙を、必死に隠していなければならなかったのだ。
そんな僕の手を取って、彼女は奪い返すように手の甲にキスをした。
振り返ると、彼女の目にも涙が浮かんでいて。
ふたりで、共犯者の目をして笑ったね。
あの頃は、不幸せの中でも二人でいれば、幸せだったんだ。
君もそう思っていたのかな。
一瞬でも幸せだと思える時間があったなら、僕がそばにいたことのすべてが否定されるべきものではないと、今でも僕はそう思っているんだ――