そばにいたこと
壊れそうな君の肩を抱きながら、僕はゆっくりと君を病室へと連れて行った。
明日、何時間もかかる手術を受ける君に、少しでも休んでほしかったから。
そして、最後に僕の姿を、目に焼き付けてほしくて。
「ねえ、春岡くん。」
「なに?」
「明日の手術、絶対に上手くいく、なんて保証はないわけで。」
「……うん。」
「一体何が起こるかわかんないし。」
「ああ。」
「それで、私、死んじゃうかもしれない。」
君は、寂しそうな顔のまま、僕を真っ直ぐに見つめた。
それはそれは綺麗な瞳で。
その目に、君を散々に痛めつける病巣があるなんて、想像もつかないほどの。
「でも、その時も、頑張ったねって褒めてね。」
「沙耶……。」
「だって、それは私のせいじゃないじゃない?私は、春岡くんとの約束を破ったわけじゃないんだから。」
「分かった。約束する。」
頷くと、彼女はやっと、安心したように弱々しい笑顔を浮かべた。
「あーあ。もう最後なんだ。こうして、色のついた世界を見ることができるのは。」
「……沙耶。」
「世界、なんて大げさだね。私、まだ外国に行ったことさえないのに。」
彼女の思考が、どんどんマイナスの方向に向かってしまうことを、僕には止めることができなかった。
僕だって、同じように思っていたから。
沙耶に、もっと見ていてほしかったんだ。
僕がこの先、生きていく「世界」を―――
「ごめんね、春岡くん。」
「なんで?」
「困るよね、こんなこと言っても。」
僕は何とも言い様がなくて、君をぎゅっと抱き寄せた。
それが、何の気休めにならないことくらい、僕だって分かっていたけれど。
「光のない世界で、私どうやって。」
「僕がいるよ。」
何て頼りない言葉だったろう。
高校生の僕には、何にもできないはずなのに。
それでも、君はその言葉に、安心したように頷いていたね。
僕は、そんな君を寝かせて布団を掛けた。
僕の側にあった片手を、そっと握った。
「沙耶、そろそろ寝た方がいいよ。……君が眠るまで、離さないから。」
「うん。」
素直に頷いて、寝ようとした君の目の端から、つーっと涙が零れた。
「寝たら朝だね。朝が来たら、もう。」
「何も考えないで寝よう。明日も明後日も、それからもずっと、沙耶は生きているんだから。」
「うん。」
指先で涙を拭うと、君はほんの少しだけ微笑んだ。
「春岡くんの顔、忘れない。」
「うん。」
「春岡くんのことね、私、中学生の頃から好きだったんだよ。」
「え?」
君は、また目を開けて、幸せな思い出に浸るみたいに笑った。
「私ね、友達が野球好きで、いつも試合を観に行ってたんだ。」
「そうなの?」
「春岡くんは覚えてないよね。」
沙耶は、可笑しそうに言う。
「私が友達とはぐれて、困ってた時、春岡くんは助けてくれたんだよ。試合の直前だったのにね。」
「……あっ!」
「もしかして、覚えてる?」
「覚えてるよ。可愛い女の子が泣きそうな顔して、入り口をウロウロしてて。待ち合わせ場所が分からないって。」
「そう!それで、私を連れて行ってくれたんだよ、その場所まで。」
「あの時は、どこ行ってたんだって監督に叱られたっけなあ。」
「うん、その叱られてる姿を見ながら、何て優しい人なんだろうって思ったの。……それに、その日の試合、春岡くんの完封勝利だったから。すごくかっこよくて、私、その日から大好きだったの。」
嬉しそうに語る君の姿を見ながら、僕は何で忘れていたんだろう、と思った。
桜の木の下で会った時が、初めての出会いだと信じていた。
その時にはもう君は、僕のことを知っていたんだね。
「そんな大好きな春岡くんと、せっかく同じクラスになったのに。その後で、病気のことがわかって。私、ショックだった。マネージャーになりたかったの。春岡くんのこと、支えたかったの。」
うん、沙耶がマネージャーだったら、どんなに素晴らしかっただろう。
それに、もしもそうなら。
僕は肩を壊さなかったのではないか、とさえ思った。
「大人しく寝よっかな。」
「うん。」
話疲れたようで、君はその後しばらくして寝息を立てはじめた。
明日の朝になってしまえば、話す時間なんてほとんどなくて、もう手術だろう。
だから、沙耶と話せただけでも、僕は満足だった。
僕は、悲しんではいけないんだ。
君に手術を受けるように勧めたのは、僕なんだから。
視力を失っても、命がある方が大事だと、そう言ったのは紛れもなくこの僕なのだから―――
君が眠ってしまっても、僕はその手を離すことはできずにいた。
そのまま、ずっと隣で、君の横顔を見つめていたんだ。
明日、何時間もかかる手術を受ける君に、少しでも休んでほしかったから。
そして、最後に僕の姿を、目に焼き付けてほしくて。
「ねえ、春岡くん。」
「なに?」
「明日の手術、絶対に上手くいく、なんて保証はないわけで。」
「……うん。」
「一体何が起こるかわかんないし。」
「ああ。」
「それで、私、死んじゃうかもしれない。」
君は、寂しそうな顔のまま、僕を真っ直ぐに見つめた。
それはそれは綺麗な瞳で。
その目に、君を散々に痛めつける病巣があるなんて、想像もつかないほどの。
「でも、その時も、頑張ったねって褒めてね。」
「沙耶……。」
「だって、それは私のせいじゃないじゃない?私は、春岡くんとの約束を破ったわけじゃないんだから。」
「分かった。約束する。」
頷くと、彼女はやっと、安心したように弱々しい笑顔を浮かべた。
「あーあ。もう最後なんだ。こうして、色のついた世界を見ることができるのは。」
「……沙耶。」
「世界、なんて大げさだね。私、まだ外国に行ったことさえないのに。」
彼女の思考が、どんどんマイナスの方向に向かってしまうことを、僕には止めることができなかった。
僕だって、同じように思っていたから。
沙耶に、もっと見ていてほしかったんだ。
僕がこの先、生きていく「世界」を―――
「ごめんね、春岡くん。」
「なんで?」
「困るよね、こんなこと言っても。」
僕は何とも言い様がなくて、君をぎゅっと抱き寄せた。
それが、何の気休めにならないことくらい、僕だって分かっていたけれど。
「光のない世界で、私どうやって。」
「僕がいるよ。」
何て頼りない言葉だったろう。
高校生の僕には、何にもできないはずなのに。
それでも、君はその言葉に、安心したように頷いていたね。
僕は、そんな君を寝かせて布団を掛けた。
僕の側にあった片手を、そっと握った。
「沙耶、そろそろ寝た方がいいよ。……君が眠るまで、離さないから。」
「うん。」
素直に頷いて、寝ようとした君の目の端から、つーっと涙が零れた。
「寝たら朝だね。朝が来たら、もう。」
「何も考えないで寝よう。明日も明後日も、それからもずっと、沙耶は生きているんだから。」
「うん。」
指先で涙を拭うと、君はほんの少しだけ微笑んだ。
「春岡くんの顔、忘れない。」
「うん。」
「春岡くんのことね、私、中学生の頃から好きだったんだよ。」
「え?」
君は、また目を開けて、幸せな思い出に浸るみたいに笑った。
「私ね、友達が野球好きで、いつも試合を観に行ってたんだ。」
「そうなの?」
「春岡くんは覚えてないよね。」
沙耶は、可笑しそうに言う。
「私が友達とはぐれて、困ってた時、春岡くんは助けてくれたんだよ。試合の直前だったのにね。」
「……あっ!」
「もしかして、覚えてる?」
「覚えてるよ。可愛い女の子が泣きそうな顔して、入り口をウロウロしてて。待ち合わせ場所が分からないって。」
「そう!それで、私を連れて行ってくれたんだよ、その場所まで。」
「あの時は、どこ行ってたんだって監督に叱られたっけなあ。」
「うん、その叱られてる姿を見ながら、何て優しい人なんだろうって思ったの。……それに、その日の試合、春岡くんの完封勝利だったから。すごくかっこよくて、私、その日から大好きだったの。」
嬉しそうに語る君の姿を見ながら、僕は何で忘れていたんだろう、と思った。
桜の木の下で会った時が、初めての出会いだと信じていた。
その時にはもう君は、僕のことを知っていたんだね。
「そんな大好きな春岡くんと、せっかく同じクラスになったのに。その後で、病気のことがわかって。私、ショックだった。マネージャーになりたかったの。春岡くんのこと、支えたかったの。」
うん、沙耶がマネージャーだったら、どんなに素晴らしかっただろう。
それに、もしもそうなら。
僕は肩を壊さなかったのではないか、とさえ思った。
「大人しく寝よっかな。」
「うん。」
話疲れたようで、君はその後しばらくして寝息を立てはじめた。
明日の朝になってしまえば、話す時間なんてほとんどなくて、もう手術だろう。
だから、沙耶と話せただけでも、僕は満足だった。
僕は、悲しんではいけないんだ。
君に手術を受けるように勧めたのは、僕なんだから。
視力を失っても、命がある方が大事だと、そう言ったのは紛れもなくこの僕なのだから―――
君が眠ってしまっても、僕はその手を離すことはできずにいた。
そのまま、ずっと隣で、君の横顔を見つめていたんだ。