そばにいたこと

強化合宿

でも、野球部のマネージャーになるという君の言葉は、嘘ではなかったんだ。
それからしばらくして、夏休み中に行われた合宿に、彼女はマネージャー補助要員として参加していた。

朝、重い荷物を持って学校のグラウンドに集合した時、同じように大きな荷物を抱えた君を見た僕が、どれほど驚いたか。

君は知らない。


丁寧に一人一人に挨拶をして、一番最後に乗り込もうとする彼女を見つめた。

「おはよう、春岡くん!」

おはようございます、という挨拶が僕専用に変えられていた、たったそれだけで、嬉しくなる。

「伊藤、おはよ。」

そう返すと、彼女はいたずらを見つかった子どものように、無邪気な顔で笑った。


結局僕も最後の方で乗った。
僕のひとつ前の席に、君が座っていた。
同じ窓側で、ガラスに映る君の横顔が見えるベストポジション。

君はというと、隣に座った女子マネージャーと、からから笑い合っていたね。
君の笑い声が好きだった。
楽しくて仕方がないと言うような、明るくて軽やかな笑い声。
その声を聴いているだけで、僕は幸せになっていたんだ。


しばらくして、彼女が座席の上に身を乗り出して振り返った。
あまりの近さに、僕は思わず目を見開いてしまう。

「春岡くん、これ、あげる。」

「え?」

手渡されたのはハート形をしたチョコレートだった。
思わず見返そうとすると、君の顔はもう座席の向こうに消えていて。

「いいなー!なんだよ、春岡ばっかりずるいじゃん。さーやちゃーん!!」

隣に座る藤堂がいきなりそんなことを言い出す。
藤堂は、僕とバッテリーを組むキャッチャー。
中学時代からの付き合いだ。
だから、そんなこと言いながらも、本当はピュアで真面目なことだって僕は知っているわけで。
それなのに、君の下の名前を呼ぶ藤堂を、思わず一瞬、本気で殴りたくなってしまった。

不機嫌な顔のままでガラスを見ると、君と目が合った。
君は、僕だけに見える角度で、そっと唇に人差し指を当てた。

「サンキュ。」

そして僕も、君だけに聞こえる声のトーンで、小さく囁いた。
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