そばにいたこと
苦しい練習を終えて、僕は大浴場に向かった。
夕ご飯の前に、汗を流しておきたかったからだ。

みんな、部屋に戻って畳の上に、死んだようになって倒れている。
夕ご飯の前に起こさないと、きっと彼らは食べ損ねるだろう。

誰もいない大浴場はとても静かで、快適だった。
さっと流した後お湯につかると、一日の疲れが流れ出していくような気がした。


15分もかからないうちにあがる。
あんまり長時間浸かっていたら、そのまま眠ってしまいそうだった。


運動用のジャージから、Tシャツと短パンに着替える。
髪はタオルで拭いただけなので、首に長めのタオルを掛けておく。

脱衣所から出ると、ちょうどそこに自動販売機があった。
僕はそこで、ブラックコーヒーを買う。
今日のメニューは終わったのに、なんとなくまだ、目を覚ましておきたかった。

「あ、」

高めの声が聞こえて、缶に口をつけようとした僕は振り返った。

「あ。」

同じように間抜けな声を出してしまう。

「春岡くん、コーヒー飲むんだ。」

そう言って、そこにいた彼女、沙耶は微笑みながら僕の手にするコーヒーの缶を見上げた。

「あ、ああ。……伊藤もなんか飲む?」

「え?私はいいよ、そんな……。」

「飲まないのか?」

「じゃあ、……カフェオレがいいな。」

控えめに口にした彼女のために、小銭を入れてカフェオレをひとつ落とす。

「どうぞ。」

「ありがと!」

僕が差し出したカフェオレを両手で受け取って、沙耶は嬉しそうに笑った。

「伊藤はお子様だな。」

「何よ。同じ年だもん。」

そう言ってむくれる彼女の横顔を盗み見る。
こんなふうに軽口をたたくなんて、初めてだ。
僕は、胸いっぱいに幸せが広がっていくのを感じていた。

「これから、夕ご飯の準備なの。」

「そう。」

「春岡くんは、夕ご飯まで何してるの?」

「そうだな……準備手伝ってもいいか?」

「え?……そんな!それじゃ何のためにマネージャーがいるのか分からないじゃない!部員はしっかり休んでてよ。」

「だってさ……僕、汗臭い部屋に戻るの嫌なんだ。」

そう言った僕の表情が、あまりにもげんなりしていたのだろう。
沙耶は声を上げて笑い始めた。

「じゃあ、手伝ってもらってもいい?」

「ああ。」

「ほんとにいいの?」

「いいって。」

余りにも嬉しそうな顔をするので、僕はなんだか照れてしまった。
だけど、いそいそと先に立って歩き始めた彼女が、とても可愛らしく思えて。
これ以上幸せなことはないと、そう思った。
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