【完】そろり、そろり、恋、そろり

リハビリテーションセンター side:T

定時を少し過ぎ、もうすぐ仕事も終わりだという頃にスタッフルームの電話が鳴った。誰もいなくなったリハビリ室で今から松葉杖の貸し出しをして欲しいという外来からの連絡。こういう事はよくあるけれど、就業時間後なのでみんな嫌がって、行きたがらない。そこで、既に仕事を片付けていた俺に今日は白羽の矢が立った。


誰が行くのか決める際に手間取ってしまい、少し遅くなったため俺は急いでリハビリ室へと向かった。


そして、リハ室で待っていたのは見覚えのある後姿……麻里さんだった。車椅子に座っているという痛々しい姿だったけど。


「……で、麻里さんはどうしたんですか?」


骨折はないと聞いて安心した。けれど、一体彼女はどうしたんだろうか。捻挫と言っていたからきっと転倒したか何かだろう。


「お店でこけちゃって」


って、この時間ならやっぱりそうだよな。飲食店に勤務している人が、油や水で滑りやすくなった床で転倒して来院なんて良くある話だ。


「そうなんですね。今日はこの後また仕事戻るんですか?というか、この状態で戻れるんですか?」


「んー、仕事は無理かな。まともに歩けないし。店長からここに来る前に動けるようになるまで休んでいいって言われちゃった。確かにそうよね、この状態で押し切って出勤してもみんなの邪魔にしかならないし」


俺の質問に彼女は困ったように力なく笑った。


それは仕方ない事だと俺は思うけど。骨折でもしてれば確実に労災だろうし、休みを与えないわけにはいかないだろう。確かに中途半端で出勤するのは迷惑なはずだしな。


「じゃあ少しの間自宅療養なんですね。俺に出来る事があったら言ってください。なんと、明日から2連休なんですよ」


よかった……少しおどけて言ってみると、彼女は微笑んでくれた。松葉杖での生活は不便も多いだろうから、何かしらの役には立つはずだ。彼女に頼られたいし、あわよくば彼女ともっと親密になりたいという、下心もあるけれどその辺はご愛嬌、ということで。


「それは頼もしいね。何か困ったことがあったらお願いするかも。友達はみんな家庭もちだし気軽に頼めないからね。こういう時、完全独り身の寂しさを感じるよ」


……完全独り身?彼女の口から苦笑とともにさらっと飛び出した言葉が俺は気になってしまった。今まで聞けないでいたけれど、彼氏もいないということでいいんだよな。思いがけず入ってきた情報に、心がふわふわと浮つくのが自分でもはっきり分かった。

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