【完】そろり、そろり、恋、そろり

「この椅子に座っていてください。すぐにパスタ作りますから」


私が部屋の中に入ったのを見計らって、さっと椅子を引き座るように促してくれた。こんな彼の行動にも少しずつ慣れてきた。


「ありがとう、待ってるね」


静かに彼を待つことにした。以前飲食店でバイトしていたからパスタなら得意だと言って、今日はそれを作ってくれるらしい。


そういえば、男の人に手料理を食べさせてもらうのは初めて。記憶を辿ってみたけれど、うん、やっぱりない。私が料理を出来るせいもあるのか、これまでそんな機会は一度もなかった。


初めての経験に、すごくわくわくしてきた。


待っている間はさすがに暇で、部屋の中をキョロキョロと見回した。このテーブルの上もだけど、とにかく本が多い。


無造作に積み上げられているのは、文庫本やマンガ、そして難しそうなタイトルの本と様々。テーブルの上にあるのは、きっと仕事で使う本なのだろう。“解剖”とか“疾患別”とか、私には縁のない言葉ばかりが並んでいる。


目の前にある本を手に取り、パラパラと捲ってみると、飛び込んでくるのは難しい単語の羅列。所々に線が引いてあったり、書き足してあったりと、拓斗君はこれをしっかり理解して読んでいることが見てとれる。


家でも勉強しているなんて、すごいなと思った。そういえば……今日の会話の中で“プロ”という言葉を使っていたことを思い出した。


プロか……。私も責任のある立場にあるし、プロといえばプロだよね。彼と比べると、まだまだプロ意識が足りない。


仕事に行けない間にも、家で出来ることがあるんじゃないかと、前向きな考えが頭に浮かんだ。
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