【完】そろり、そろり、恋、そろり
「あった、あった」


ホッとした顔をして、右手に何かを握り締めた状態で彼は戻ってきた。今度は私の正面の椅子ではなくて、座っている私の傍まで寄ってきた。そして、右手を私の目の前に差し出してくる。


「……何?」


どういう事か分からずに、首を傾げながら、彼を見上げながら問いかけた。


「これですよ。もらってください」


拓斗君は握り締めていた掌をそっと開いて、持っていたものを私に見せてくれた。そこにあったものに、私が思ったもので正しいのだろうかと、はっきりと言わなかった彼に確認したくなった。


「これって、もしかしてここの?」


「はい、合鍵。麻里さんに持っていて欲しい」


そう、彼の手に握られていたのは合鍵。そして、私にくれるらしい。カーテンの隙間から漏れた光が、未だ拓斗君の右手にある鍵に反射して、眩しいくらいに光って見えた。


「いいの?」


「いいも何も、持っていて、いつでも来て欲しいっていう俺のわがまま」


テーブルの上から動かせないでいた私の掌に、強引に鍵を握らせながら、彼は微笑んだ。鍵を渡されたこともだけど、私にとってはいつでもと言ってくれた言葉がすごく嬉しい。私の事を受け入れてくれていると実感できるから。


ありがとう、そう小さく呟いて、受け取ったばかりの鍵をぎゅっと握り締めた。確かにこの手の中に存在する。


そんなやり取りのあと、テーブルに散らかったままの食器に気付いて2人で笑った。


片付けは自分がすると、拓斗君が譲らないから、彼にお願いした。意外と手際よく片づけをする彼を横目に眺めながら、もらった鍵を大事に大事にバッグの中に仕舞う。仕舞うときもだらしない表情のままだった。
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