【完結】ラブレター
2 花火大会
海岸から歩いて十分程の釣り宿は、海水浴場から少し離れていたが、その分、喧噪に悩まされる事のない落ち着いた宿だった。窓から湾が一望出来た。夕焼けが美しい。ひなびた漁師町の風情が郷愁を誘う。食事が終わると二人は早速花火を見に出かける事にした。洋一は暑いのだろう、自慢の長い髪を輪ゴムでくくっている。洋一が頭を振る度に髪の毛がばさばさする。その髪で顔をなでられ、たびたび迷惑していた俊は思わず言った。
「洋一、暑いんだったら切ったらどうだ、その髪」
「この髪は俺のトレードマーク! 切れないね」
「ほンっとに、おまえは!」
洋一は、俊とほぼ同じ背丈である。武道で鍛え抜かれたがっちりした体付きをしている。ハンサムではあるが甘さのない精悍な面構え。普段は緩んだ顔をしているが、真面目な顔をして黙っているとまるでSPのような強面のお兄さんだ。髪を切った方が、女の子にもてるだろうにと俊は思った。
洋一は京子を花火に誘っていた。玄関先で待っていると相沢京子が現れた。京子は浴衣を着て、髪をアップにしている。トンボ眼鏡が今一だが、それなりに可愛いと俊は思った。三人は連れ立って出かけた。京子はなかなか気立ての良さそうな娘だった。洋一の下手なジョークにも、にこにこと笑っている。それだけでも貴重な人材だと俊は思った。
花火の会場になっている海岸には、既に大勢の人が集まっていた。海岸沿いの土手に三人で陣取った。冗談を言い合っている内に花火が始まった。真近で見る花火は凄い迫力だった。どーん、どーんと腹に響く音。目の前で繰り広げられる光の競演。三人は歓声を上げた。
やがて、花火が終わり、そろそろ帰ろうかという段になった。土手から道に降りると、人々が三々五々と歩いている。その時、若い男が近づいて来た。女性好みの甘いマスクを持ち、育ちの良さを感じさせる物腰だが、どこか人を見下した雰囲気の青年だった。
「京子、京子じゃないか?」
「えっ!」
「久しぶりだな」
その男は馴れ馴れしく京子に近づいて来た。洋一がむっとなって京子に話しかけた。
「京子ちゃん、この人は?」
京子は困った様子になった。
「あの、あの……、この人、篠崎雅広さん。えっと、こっちは、小松洋一さん。私の彼!」
洋一がえっという顔になったが、その篠崎という男もまた、えっという顔をした。
「へぇー。京子ちゃん、彼氏出来たんだ。ふーん……、そう、良かったね。あんな別れ方しちゃったけど、僕の事、忘れてないんじゃないかと思ってさ」
篠崎という男は、馴れ馴れしく顔を京子に近づけて来る。京子が、嫌そうな顔をした。洋一が、慌てて京子と男の間に割り込んだ。
「き、君は、篠崎君だっけ、えーっと、一人?」
「いや、連れがいる」
遠くでこちらを見ている五、六人の男女がいた。
「篠崎、早くしろよ」
仲間達が、呼んでいる。
「ちょっと、待ってくれ。おーい! 紀子さん」
篠崎は浴衣を着た女に手招きした。やって来た女は滅多に見られない浴衣美人だった。
「ところで、君たち、桐新大の学生? だったら、秋のミスコン、彼女、応援してくれよな」
「加藤紀子です。ミスコンに出るので宜しく」
加藤紀子と名乗った女は軽く会釈をした。篠崎は「宜しくな」と言って、加藤紀子と連れ立って仲間達の元へ戻っていった。
俊はずっと黙っていたが、篠崎達がいなくなると京子の方を振り向き問いつめた。
「理由を教えてくれる? 洋一は君の彼氏じゃないのにどうして?」
「あの、あの、ごめんなさい。洋一さんの事、彼氏なんて言って……」
「いやあ、嬉しいなあ、京子ちゃんに彼氏って言われて。このまま京子ちゃんの彼氏になっちゃってもいいなあ」と洋一。
「それより、あの男、篠崎だっけ、何かあったの?」俊が冷静に聞く。
「……、あ、あの……」
「京子ちゃんが言いたくなかったら言わなくてもいいんだよ」
洋一が鼻の下を伸ばして言うが、俊は更に問いつめた。
「いや、言って貰わないと困る。さっきの男と何があったか知らないが、洋一が巻き込まれた以上、知って置かないと対応出来ない」
「あの、あの、あの人、文学部の四年生なんです。あんな男だと思わなくて……、私、あの人に憧れて、だって、あの通りの顔だし、それで、その……」
京子は言い淀んだ。
「ラ、ラブレターを出したんです。そしたら、付き合ってもいいって……。それで、付き合ったら、なんていうか、その……。すごく、他の人を見下すんです。あの子は家が貧乏だとか、あいつは夜ウェイターをしているとか。それでいて、自分の事は自慢ばかりするんです。あの人、篠崎産業の御曹司で……。それで、それが、自慢らしくて。最初、そんな人だなんて思わなくて……。いい人だと思ってたんです。わかった時は、もう遅かったんです。む、無理矢理、キ、キスされそうになって。私、思いっ切り突き飛ばしたんです。そしたら、私の悪口言いはじめて……。
『眼鏡ブスのくせに、胸が大きいからつきあってやったのに、俺様を振るなんて生意気だ。俺とつきあうだけで、名誉なのがわからないのか』って……。私、とにかく逃げたんです。そしたら、私の後ろから……、大声で、ブスブスってどなって……。最初から、私の体が目的だったんです。人の事、ブスだなんて、ひどい!」
京子は涙ぐんだ。洋一はハンカチを出して京子に渡した。
「まあ、そういう事情なら、君に彼氏が出来たとわかった以上、絡んでこないだろう。今はあの浴衣美人に夢中らしいしな」
俊は涙を拭こうとして眼鏡を外した京子の顔を見てはっとした。
ファニーフェイス!
(個性的な顔立ちだ。磨けば美人になる)
俊は、むらむらとこの子をプロモーションしてみたいと思った。
俊は父親の会社を継ぐつもりにしていた。父親が苦労して大きくした会社だ。父、啓介は、「好きな道に進んでいいぞ」と常日頃から言っていたが、俊は父親の会社を面白そうだと思っていた。父の商社には企画室がある。以前、啓介は若者向けファッションの企画書を俊に見せた。会社は若者向けに新しいブランドを立ち上げようとしていた。俊自身は着る物に興味はなかったが、キャンパスで皆がどんな格好をしているか、どんな男が女の子にもてているか冷静に思い出し、意見を言った。俊の意見を気に入ったのか、企画室長がバイトに雇いたいと啓介に言った。以来、俊は会社のイベントを時々手伝っている。ファッションショーの手伝いをした時、スッピンの女の子が化粧で変身していく姿に興味を持った。実物と違う人間像が宣伝で一人歩きする様を目の当たりにして面白いと思った。
「君さ、さっきのひどい男、見返してやりたくない?」
「俊、そんな事聞いてどうするんだよ」と洋一。
「ね、見返したくない、ブスって言った男にさ」
京子は戸惑ったように、俊を見上げた。
「そりゃ、見返したいけど、でも、でも……」と言い淀む。
「学園祭のミスコン、出てみないか。俺が美人に変身させてやるからさ」
「俊!」
「でも、でも……」
「君、みんなが振り向く美人になれるよ。僕が保証する」
京子は何と言っていいかわからず、困った顔をしている。
「考えといてよ。返事は新学期が始まってからでも間に合うからさ。じゃあ、俺は疲れたから先に戻るよ」
俊は二人に軽く手を上げると、宿へと歩き出した。俊には洋一が京子と二人きりになりたがっているのがよくわかった。
「じゃあ、あとでな」という洋一の声を俊は背中に聞いた。振り向くと肩越しに、洋一が京子によりそっているのが見えた。うまくやれよと俊は心の中でエールを送った。
宿への道を俊は歩いて行った。花火客の喧噪が遠くから聞こえる。鄙びた漁師町。道の片側に木製の塀が続く。古めかしい日本家屋の一つに越後屋旅館と看板が出ていた。
(越後屋ってまるで時代劇だ。ここはまるで時間が止ったみたいな町だな)
俊は立ち止まって、空を見上げた。満月が明るい。その時、俊の視界の端を何かがよぎった。はっとして、振り向くと、ちゃんちゃんこを着た猿が一匹、塀の上でトンボを切っている。
トン、くるり! トン、くるり! トン、くるり!
そのまま、トトト、トーンと屋根を駆け上がる。満月をバックに猿のシルエットが黒く浮き上がった。
きき、きーきー、きっ
猿が満月に向かってミエを切った!
(な、なんだあれは!)
からりとガラス戸の開く音がする。音の方へ視線をめぐらすと、浴衣を着た女が二階の窓から身を乗り出し、猿の方へ手を差し伸べた。月明りに女の腕が白い。長く重たげな髪がはらりと肩先から落ちた。俊ははっとした。昼間の黒の水着を着ていた女だ。女が、何か言葉を発した。猿は、キッと泣くと、ト、トトトと女の腕の中に飛び込んだ。女は猿を抱くと窓から身を引いた。暗闇の中、俊は女と目があったように思った。女はからりとガラス戸を閉めた。
俊は夢を見たように思った。
翌朝、俊は洋一に京子ちゃんとはどうだったと聞いた。
「ああ、うまく行った。あの後、しばらく落ち込んでいたけど、俺がジョークを言ったら、笑いだしてさ。すっかり元気になったよ。大学でまた会う約束をしたんだ。ふっふっふ! 俺って幸せ!」
「それは、良かったな。また、つまらん冗談を言って振られたんじゃないかと心配したぜ」
と俊がからかう。洋一はむっとして言った。
「彼女はセンスがいいんだ。俺のジョークを一緒に笑ってくれたんだ! ところで、本当か、彼女をミスコンに出すってさ。俺は今でも、十分かわいいと思ってるけど」
「ああ、彼女がその気になれば、美女に化けられる。地は悪くないんだ。あのトンボ眼鏡が問題だな。それと、ほとんど化粧をしてないから、眉の手入れが出来てない。少し身長が足りないが、それは、服装でなんとかなるだろう。あの浴衣美人には負けるだろうけど、準ミスくらいにはなれるな」
そんな話をしながら、二人は朝食を食べた。
朝食の後、俊は京子にもう一度ミスコンへの出場を勧めた。それから、二人は京子とその母親、あの横綱のような母親に挨拶をすると、宿を後にした。
「洋一、暑いんだったら切ったらどうだ、その髪」
「この髪は俺のトレードマーク! 切れないね」
「ほンっとに、おまえは!」
洋一は、俊とほぼ同じ背丈である。武道で鍛え抜かれたがっちりした体付きをしている。ハンサムではあるが甘さのない精悍な面構え。普段は緩んだ顔をしているが、真面目な顔をして黙っているとまるでSPのような強面のお兄さんだ。髪を切った方が、女の子にもてるだろうにと俊は思った。
洋一は京子を花火に誘っていた。玄関先で待っていると相沢京子が現れた。京子は浴衣を着て、髪をアップにしている。トンボ眼鏡が今一だが、それなりに可愛いと俊は思った。三人は連れ立って出かけた。京子はなかなか気立ての良さそうな娘だった。洋一の下手なジョークにも、にこにこと笑っている。それだけでも貴重な人材だと俊は思った。
花火の会場になっている海岸には、既に大勢の人が集まっていた。海岸沿いの土手に三人で陣取った。冗談を言い合っている内に花火が始まった。真近で見る花火は凄い迫力だった。どーん、どーんと腹に響く音。目の前で繰り広げられる光の競演。三人は歓声を上げた。
やがて、花火が終わり、そろそろ帰ろうかという段になった。土手から道に降りると、人々が三々五々と歩いている。その時、若い男が近づいて来た。女性好みの甘いマスクを持ち、育ちの良さを感じさせる物腰だが、どこか人を見下した雰囲気の青年だった。
「京子、京子じゃないか?」
「えっ!」
「久しぶりだな」
その男は馴れ馴れしく京子に近づいて来た。洋一がむっとなって京子に話しかけた。
「京子ちゃん、この人は?」
京子は困った様子になった。
「あの、あの……、この人、篠崎雅広さん。えっと、こっちは、小松洋一さん。私の彼!」
洋一がえっという顔になったが、その篠崎という男もまた、えっという顔をした。
「へぇー。京子ちゃん、彼氏出来たんだ。ふーん……、そう、良かったね。あんな別れ方しちゃったけど、僕の事、忘れてないんじゃないかと思ってさ」
篠崎という男は、馴れ馴れしく顔を京子に近づけて来る。京子が、嫌そうな顔をした。洋一が、慌てて京子と男の間に割り込んだ。
「き、君は、篠崎君だっけ、えーっと、一人?」
「いや、連れがいる」
遠くでこちらを見ている五、六人の男女がいた。
「篠崎、早くしろよ」
仲間達が、呼んでいる。
「ちょっと、待ってくれ。おーい! 紀子さん」
篠崎は浴衣を着た女に手招きした。やって来た女は滅多に見られない浴衣美人だった。
「ところで、君たち、桐新大の学生? だったら、秋のミスコン、彼女、応援してくれよな」
「加藤紀子です。ミスコンに出るので宜しく」
加藤紀子と名乗った女は軽く会釈をした。篠崎は「宜しくな」と言って、加藤紀子と連れ立って仲間達の元へ戻っていった。
俊はずっと黙っていたが、篠崎達がいなくなると京子の方を振り向き問いつめた。
「理由を教えてくれる? 洋一は君の彼氏じゃないのにどうして?」
「あの、あの、ごめんなさい。洋一さんの事、彼氏なんて言って……」
「いやあ、嬉しいなあ、京子ちゃんに彼氏って言われて。このまま京子ちゃんの彼氏になっちゃってもいいなあ」と洋一。
「それより、あの男、篠崎だっけ、何かあったの?」俊が冷静に聞く。
「……、あ、あの……」
「京子ちゃんが言いたくなかったら言わなくてもいいんだよ」
洋一が鼻の下を伸ばして言うが、俊は更に問いつめた。
「いや、言って貰わないと困る。さっきの男と何があったか知らないが、洋一が巻き込まれた以上、知って置かないと対応出来ない」
「あの、あの、あの人、文学部の四年生なんです。あんな男だと思わなくて……、私、あの人に憧れて、だって、あの通りの顔だし、それで、その……」
京子は言い淀んだ。
「ラ、ラブレターを出したんです。そしたら、付き合ってもいいって……。それで、付き合ったら、なんていうか、その……。すごく、他の人を見下すんです。あの子は家が貧乏だとか、あいつは夜ウェイターをしているとか。それでいて、自分の事は自慢ばかりするんです。あの人、篠崎産業の御曹司で……。それで、それが、自慢らしくて。最初、そんな人だなんて思わなくて……。いい人だと思ってたんです。わかった時は、もう遅かったんです。む、無理矢理、キ、キスされそうになって。私、思いっ切り突き飛ばしたんです。そしたら、私の悪口言いはじめて……。
『眼鏡ブスのくせに、胸が大きいからつきあってやったのに、俺様を振るなんて生意気だ。俺とつきあうだけで、名誉なのがわからないのか』って……。私、とにかく逃げたんです。そしたら、私の後ろから……、大声で、ブスブスってどなって……。最初から、私の体が目的だったんです。人の事、ブスだなんて、ひどい!」
京子は涙ぐんだ。洋一はハンカチを出して京子に渡した。
「まあ、そういう事情なら、君に彼氏が出来たとわかった以上、絡んでこないだろう。今はあの浴衣美人に夢中らしいしな」
俊は涙を拭こうとして眼鏡を外した京子の顔を見てはっとした。
ファニーフェイス!
(個性的な顔立ちだ。磨けば美人になる)
俊は、むらむらとこの子をプロモーションしてみたいと思った。
俊は父親の会社を継ぐつもりにしていた。父親が苦労して大きくした会社だ。父、啓介は、「好きな道に進んでいいぞ」と常日頃から言っていたが、俊は父親の会社を面白そうだと思っていた。父の商社には企画室がある。以前、啓介は若者向けファッションの企画書を俊に見せた。会社は若者向けに新しいブランドを立ち上げようとしていた。俊自身は着る物に興味はなかったが、キャンパスで皆がどんな格好をしているか、どんな男が女の子にもてているか冷静に思い出し、意見を言った。俊の意見を気に入ったのか、企画室長がバイトに雇いたいと啓介に言った。以来、俊は会社のイベントを時々手伝っている。ファッションショーの手伝いをした時、スッピンの女の子が化粧で変身していく姿に興味を持った。実物と違う人間像が宣伝で一人歩きする様を目の当たりにして面白いと思った。
「君さ、さっきのひどい男、見返してやりたくない?」
「俊、そんな事聞いてどうするんだよ」と洋一。
「ね、見返したくない、ブスって言った男にさ」
京子は戸惑ったように、俊を見上げた。
「そりゃ、見返したいけど、でも、でも……」と言い淀む。
「学園祭のミスコン、出てみないか。俺が美人に変身させてやるからさ」
「俊!」
「でも、でも……」
「君、みんなが振り向く美人になれるよ。僕が保証する」
京子は何と言っていいかわからず、困った顔をしている。
「考えといてよ。返事は新学期が始まってからでも間に合うからさ。じゃあ、俺は疲れたから先に戻るよ」
俊は二人に軽く手を上げると、宿へと歩き出した。俊には洋一が京子と二人きりになりたがっているのがよくわかった。
「じゃあ、あとでな」という洋一の声を俊は背中に聞いた。振り向くと肩越しに、洋一が京子によりそっているのが見えた。うまくやれよと俊は心の中でエールを送った。
宿への道を俊は歩いて行った。花火客の喧噪が遠くから聞こえる。鄙びた漁師町。道の片側に木製の塀が続く。古めかしい日本家屋の一つに越後屋旅館と看板が出ていた。
(越後屋ってまるで時代劇だ。ここはまるで時間が止ったみたいな町だな)
俊は立ち止まって、空を見上げた。満月が明るい。その時、俊の視界の端を何かがよぎった。はっとして、振り向くと、ちゃんちゃんこを着た猿が一匹、塀の上でトンボを切っている。
トン、くるり! トン、くるり! トン、くるり!
そのまま、トトト、トーンと屋根を駆け上がる。満月をバックに猿のシルエットが黒く浮き上がった。
きき、きーきー、きっ
猿が満月に向かってミエを切った!
(な、なんだあれは!)
からりとガラス戸の開く音がする。音の方へ視線をめぐらすと、浴衣を着た女が二階の窓から身を乗り出し、猿の方へ手を差し伸べた。月明りに女の腕が白い。長く重たげな髪がはらりと肩先から落ちた。俊ははっとした。昼間の黒の水着を着ていた女だ。女が、何か言葉を発した。猿は、キッと泣くと、ト、トトトと女の腕の中に飛び込んだ。女は猿を抱くと窓から身を引いた。暗闇の中、俊は女と目があったように思った。女はからりとガラス戸を閉めた。
俊は夢を見たように思った。
翌朝、俊は洋一に京子ちゃんとはどうだったと聞いた。
「ああ、うまく行った。あの後、しばらく落ち込んでいたけど、俺がジョークを言ったら、笑いだしてさ。すっかり元気になったよ。大学でまた会う約束をしたんだ。ふっふっふ! 俺って幸せ!」
「それは、良かったな。また、つまらん冗談を言って振られたんじゃないかと心配したぜ」
と俊がからかう。洋一はむっとして言った。
「彼女はセンスがいいんだ。俺のジョークを一緒に笑ってくれたんだ! ところで、本当か、彼女をミスコンに出すってさ。俺は今でも、十分かわいいと思ってるけど」
「ああ、彼女がその気になれば、美女に化けられる。地は悪くないんだ。あのトンボ眼鏡が問題だな。それと、ほとんど化粧をしてないから、眉の手入れが出来てない。少し身長が足りないが、それは、服装でなんとかなるだろう。あの浴衣美人には負けるだろうけど、準ミスくらいにはなれるな」
そんな話をしながら、二人は朝食を食べた。
朝食の後、俊は京子にもう一度ミスコンへの出場を勧めた。それから、二人は京子とその母親、あの横綱のような母親に挨拶をすると、宿を後にした。