冬空どろっぷす
「やっぱり、ここは、静かだ…」
穏やかな冬の風が、少し冷たいけれど。
それくらいの方が心も麻痺させてくれる気がする。
電子端末を操作して、イヤホンを耳に詰め込む。
授業が始まったのだろう。
先程までの喧騒が嘘のように、物音がしない。
「誰かの声に、名前を…呼ばれて、目を覚ます…」
耳から溢れる音に合わせて、口から歌が零れる。
ここは、この学校の、今は使われていない校舎の屋上だ。
新しく特別棟が建てられたことで、去年まで使っていたこの校舎は廃校舎となったのだ。
他の生徒からは移動が面倒だと嫌われていた校舎。
けれど、本校舎や校庭から少し外れた位置にあるこの校舎はとても静かで。
私はよく、ここに来る。
「哭いている心から、愛は生まれない…悲しみだけが…溢れてしまう……」
誰かに聞かれることもない歌は、何も気にすることなく、空に溶けていく。
誰も居ない、静かなこの場所で。
ここに私が居ることを知っているのは、琴葉だけだ。
理紗の気持ちを知ってしまったとき、どうしても顔を合わせられなくて。
初めて授業をさぼって、ここに逃げてきた。
それ以来、ここは私の、避難場所なのだ。
気持ちを伝えることも、表現することも苦手な私の。
感情を発露できる、少ない避難場所なのだ。
「世界の涙が…眠っている…」
風に吹かれながら歌うなんて、とても恥ずかしくて、普段ならできない。
目を閉じて歌うことも。
心を込めて歌うことも。
「誰かが優しく、名前を呼んでいた…私の願いを…知っていたように…」
けれど、今、ここには。
私以外の、誰も―…
「お前、歌、上手いな。」
「ひゃっ!?」
誰も、いないはずなのに。
慌ててイヤホンを片方引っこ抜き、辺りを見渡す。
私から見て右前、フェンスに寄りかかるようにして、一人の男子生徒が立っている。
「よ。」
こちらに向かって片手をあげ、笑う。
人懐っこい笑顔。
スポーツをしていそうな黒色の短髪。黒い瞳。
はっきりした顔立ちをした…俗にいうイケメンとやらだ。
身長は、170くらいだろうか。
「なにしとんの?」
関西の方の訛り。
制服も、うちのものではない。
「…誰?」