黄昏時に恋をして
 ふと、視線を前に向ける。視線がぶつかる。
「多香子」
 その声に思わず息をのんだ。
「深谷さん」
 あろうことか、元カレにばったり遭遇してしまった。
「お待たせしました」
 タイミング悪く、会計を済ませた戸田さんが店から出てきた。何かを察したのか、深谷さんをちらっとだけ見て何も言わなかった。
「黙っていなくなったと思ったら、こんなお子様と付き合っていたんだ?」
「上尾さんのお知り合いですか?」
 失礼な言い方をする深谷さんに言い返す前に、戸田さんが口を開いた。
「彼氏だけど」
「もう別れたじゃないですか?」
「オレは別れたつもりはない」
「ヘンなことを言わないで下さい」
 どうしよう。どうしたらいいんだろう、こんな時。目を泳がす私の隣で、戸田さんが深谷さんに詰め寄った。
「今は自分の彼女なんで、諦めて下さい」
 戸田さんはそう言うと、私の手を掴んで歩き出した。深谷さんを振り払うために、戸田さんがついた嘘だとわかっていても嬉しかった。彼女のふりではなく、本当の彼女になりたいと強く願った。
 少し歩いたところで、戸田さんが手を放した。
「元カレ?」
「すみません。彼が失礼なことを言って」
「あなたが謝ることじゃないですよ。気にしていないから大丈夫です」
 お互い、何も悪くはないのに、なんとなく気まずい空気が流れた。
「自分の愛車、見てくれますか?」
 悪い空気を変えるように、戸田さんが笑顔を見せながら言った。戸田さんの愛車はキレイに磨かれていて、聞かなくても車好きなんだとわかった。
「ピカピカですね!」
「自分が今、馬の次に愛しているんです」
 馬か車になりたい。
「乗せてもらってもいいですか?」
「もちろん! 良ければドライブでもしますか」 ふたりでラーメンを食べて、ドライブまでできるだなんて。とんだじゃまが入ったけれど、一瞬で吹き飛んだ。運転中、戸田さんの横顔を何度となく盗み見た。このまま死んでもいいくらい幸せな一日だった。特に進展はなかったけれど、隣にいられるだけで、これ以上、望むことは何もない。

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