黄昏時に恋をして
 食堂のおばさん方の助けもあり、茨城にアパートを見つけ、ひとり暮らしを始めた。引越が無事に済んだ日、私はふらりと厩舎に足を向けていた。初めて戸田さんに出会ったのは、黄昏時の厩舎。その時は、真奈美さんの父の厩舎と知らずに紛れこんだけれど。馬房に近づいてあたりを見回した。そこには、私と馬だけで誰もいない。ぶらりと一周してから、すぐに踵を返した。
「こんにちは」
 あの日のような黄昏時の空の下、戸田さんに出会った。
「馬を見に?」
「えぇ、まぁ……」
 予期せぬふたりきりに、胸の鼓動が加速した。
「自分も、いつもこれくらいの時間に会いにきているんです。この馬が、今いちばんのパートナーなんです」
 戸田さんが無邪気な笑顔で言った。いちばんのパートナー。相手は馬なのに、メラメラと嫉妬心が生まれた。ふらりと厩舎を訪れて、偶然、戸田さんとふたりきりになれたのも、もしかしたら必然なのかもしれない。
「戸田さん、私に騎乗してください」
 口が勝手に、そう言うと、体が半分に折れ曲がるくらい、深く頭を下げた。
「えっ! あ、あ……頭を、あげて下さい」
 自分でも、何を言っているのかわからない。頭をあげると、目を泳がせた戸田さんは顔を紅潮させていた。そして私に背を向けると、落ち着きなくパートナーである馬の鼻面を撫でた。
『騎乗してください』
 なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだと今更ながら気が付いた。でも、ここまで言ってしまったのだから、引き返せない。私の気持ちをちゃんと伝えなければ。
「馬にも車にも負けたくありません」
 落ち着きなく馬の鼻面を撫でていた戸田さんが、手を止めて振り返った。ふたりの間に静寂が走った。
「戸田さんをいちばん好きなのは、私です!!」
 言った。抑えきれない胸の内を伝えてしまった。恥ずかしさのあまり、顔を見ることができない。
「返事はいりません。さよなら」
 走った。とにかく走った。胸の内を伝えただけなのに、涙が溢れるのはなぜだろう。いつも受け身の恋しかしてこなかったツケがまわってきたのかな。初めて自分から好きになったけれど、見事に玉砕した。

 でも、不思議と清々しさが残った。








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