黄昏時に恋をして
 休み明けの朝。
「おはようございます」
 後ろから声をかけられて、ドキッとして振り返った。声の主である戸田さんが、ちょっと照れくさそうに微笑んでいた。髪が、丸坊主……とまではいかないけれど、スッキリと短くなっていた。
「おはようございます。短い髪、似合いますね」
 私が余計なことを言ったばっかりに! でも、コレはコレで似合っていて思わず本音を口にした。戸田さんは、ツンツンとなった髪を触りながら
「ありがとう」を言うと、特にそれ以上の会話をすることもなく、歩いていった。私は立ち止まり、戸田さんの後ろ姿が小さくなるまでじっとみつめていた。
 おかしい。完全に調子が狂っている。ひと目惚れの恋とは、こういうものなのか。ほんの少し、会話をしただけなのに、頭の先から爪の先まで熱を帯びたように、熱い。
 狂った調子はすぐに戻らない。仕事中も、あの微笑みが頭から離れない。そして、頬が緩む。
「おたかさん、良いことあったのかい?」
 おばさんたちはお見通しの様子。
「いいねぇ、若い子は。おばちゃんも頑張らないとね」
「おはよう! おたかさん何をにやけてるの?」
 真奈美さんが、調子の狂う私に気付いて声をかけてきた。
「彼氏とイイことあったみたいよ」
「かっ! 彼氏じゃないですよ」
 思わず赤面。戸田さんが私の彼氏になるなんて、絶対あり得ないのに。あの目にみつめられたら、息が止まるかもしれない。ほんの少し、話をしただけでこの調子なのに。
「おたかさん、調教とか見たことないでしょ?」
「はい」
「下拵えが終わったら、ちょっと行ってみる?」
「えっ。でも、許可がないとダメなんですよね」
 戸田さんが言っていたことを、真奈美さんにも伝えた。
「言っていなかったっけ? 私のお父さんが厩舎にいるって」
 真奈美さんのことは、詳しく聞いた覚えがない。私自身のことも話していないのに。ブンブンと首を横に振った。
「志木厩舎に潤ちゃんがいて、それが縁で付き合い始めたんだよ」
 潤ちゃんってことは、戸田さんもいる厩舎か。
「行きます! 見に行きます!!」
 鼻息荒く返事をした。戸田さんに会える。見ているだけで私を幸せにさせてくれる、戸田さんに早く会いたい。
「仕事、がんばります!」
 今、私を動かす原動力は戸田さんだ。
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