苦恋症候群
「いえそんな、真柴課長におごってもらうだなんておそれ多い」

「……新人の頃散々俺に高い酒たかってただろ」

「てへ、若気のいたりです」



わざとらしくお茶目な顔を作って首をかしげると、課長は「よく言うよ」とまた笑った。


真柴課長とは、私が新人で配属された支店で1年間だけ一緒に仕事をしていたことがある。そのときはまだ、真柴課長の肩書きも『支店長代理』だった。

当時から、私も課長もお酒好きで。

支店の人たちで飲みに行く機会があったときは必ず隣り合って座りながら、安い飲み放題プランから外れた、いいお酒をこそこそふたりで注文していたのだ。



『いやー、森下とは酒の趣味が合うから、一緒に飲んでて楽しいなあ』


『なめんな、俺が10歳も年下の新人に金出させるわけないだろ』



そうやって笑いながら、いくら私が自分の分は払うと言っても、お勘定を持ってくれるのはいつだって真柴課長で。

申し訳なく思いながらも、私はいつもその懐の深さに甘えていたのだった。


真柴課長は、やさしい。

やさしくて、ユーモアもあって、頼りがいがあって。

そんな人が身近にいたら、社会に出たばかりの小娘なんて、あっさり心を持っていかれてしまう。

当時私が課長をすきになるのにも、そう時間はかからなかった。


けれど、私の頭を冗談っぽく小突くその左手の薬指には、銀色の指輪。

そのときからすでに、彼は結婚していたから。

私は恋をするのと同時に、失恋してしまっていたのだ。


そして想いを秘めたまま迎えた1年後、あっさり、彼に人事異動の辞令が来て。

私の淡い恋は、そうして、幕を下ろした。
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