苦恋症候群
「ほんとに、きみは……こんなところでそうやってかわいいことを言うから、困るな」



困る、なんて口では言いながらも、私を見下ろすその目はやさしい。私はまた、ふふっと小さく笑った。

テーブルの上に置いたおぼんに、カップ類を乗せていく。すると不意に、右手を自分のものじゃない大きな手に掴まれた。

ふと見上げれば真柴課長が、いつもより数段熱っぽい瞳で私のことを見つめている。


……あ。

欲を持ったその視線を受け、素直に私の胸が高鳴った。



「課長……?」



少しの戸惑いを込めて彼を示す役職名を口にしたのと同時に、真柴課長の大きくてごつごつした手が、私の髪を撫でた。

その目が、甘くやさしく細められる。



「……ん」



降ってくるくちびるを、避けようとは思わなかった。

だって自分は今までにもう何度も、そのくちびるを受け入れている。


だからここが、社内にある会議室だということも。

彼の無骨だけれど綺麗な左手の薬指に光る、銀色の指輪も──今彼を拒む理由には、ならなかった。



「……ん、ましば、かちょ……っ」



こんな、ドア1枚隔てただけで、廊下を通る職員の足音すらも聞こえるような場所。

だけど彼はそれを気にしているのかいないのか、熱くて他人行儀じゃないキスをする。

彼はもう、私のくちびるを知っているから。身体を、知っているから。



「っふ……」



髪に触れていた手が首の後ろに回り、さらに口づけが深くなる。

いつもなら会社で、彼はこんな危ないことをしないのに。

やはり、普段は仕事とプライベートの線引きをキッチリしている彼も……来週から自分が私と同じ本部勤めではなくなることを、多少なりともさみしく思ってくれているのだろうか。

まあ今さらその話をグチグチするほど、私も子どもではないけれど。
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