HとSの本 ~彼と彼女の話~
 黙々と、パンを口に突っ込んでいた。
 食べきれないかもしれないけれど、とにかく口の中へと押し込んで咀嚼。

 話をしたくないわけじゃない。
 ただ、どう切り出していいのかが分からない。
 今までずっと、話を聞く側に回っていたから。

 昨日の今日なので、さすがの彼も閉口してしまっている。

 やあ と現れ、
 隣いいかい? と聞いただけで、それ以外に会話はない。
 わたしも、こんにちは、と
 はい、としか言っていない。

 こんな事ではいけないとわかっている。
 自分から一歩前に進まないと、これ以上何も変化は生まれない。このままでは、彼に何と言ったらいいのか。



「あ――――」



 致命的だった。
 本当に致命的な事を、今思い出してしまった。どうしたらいいのかもわからない。

 声をあげて逃げ出したいけれど、それは失礼でこの人の前では二度とは出来ない事だった。
 問題解決は自分の手で、そして可及的速やかに行わなくてはならない。

 ……まあ、それでもこの場で出来る事と言ったら一つ。
 むしろ、それ以外に方法はない。

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