HとSの本 ~彼と彼女の話~
 ある箱があった。
 その中にはこの世の悪い物ばかりが詰め込まれていた。
 けれど、その中には希望という輝きがあった。
  それは人に与えられるものである。
 されど、悪の中にあった光を希望だと受け入れるはずがない。
  人は希望を受け取らない――――

「…………いやな夢」

 古い夢を思い出した。
 母親にずっと、ずっと聞かされてきた絶望の中の希望の話。

 お前は、箱の中の希望だと言われた。
  誰にも手に取られない、そんな希望がわたしなんだ。

 ぶんぶんと頭を振って起き上がる。時刻は既に、お昼休みを半分回っていた。




 彼を避けて一日、二日、元の空虚さが戻って来た事に安心し始めている自分がいた。
 裏庭に行く事はなく、けれど人目を気にして、わたしだけにあてがわれた教室でお昼を食べていた。
 他の校舎からは隔離された、お城の塔みたいな一室。
 そこからは、裏庭の景色がよく見えてしまっていた。

「…………またいる」

 お昼を知らせる鐘の音。
 それからきっかり五分経って、彼はまた現れた。

 それが日課、彼はわたしの存在を待つ事なくお弁当を広げた。
 そしてそのまま、午後の授業が始まるまでの間ずっと座っていた。

 わたしは彼が座る事に許可などもらっていない、
 彼がお弁当を食べ始める事に許しなどえていない、
 そもそもわたしはずっと返事をしなかったのだから。

 わたしのいない空間で、わたしがいる日常を繰り広げている姿は。
 見ていて心が痛むものだった。
 逃げた自分が悪いんだと、まるでここから見ているのが分かっているんじゃないかと、そう思えるほどに痛かった。

「なんで…………そこまでするの?」

 わたしは、決して取られない汚れた希望なのに。


< 9 / 29 >

この作品をシェア

pagetop