叶わぬ恋の叶え方
坂井先生の家は思ったより質素なマンションだった。築年数もそんなに浅くなさそうなごく普通の外観だ。おそらく元妻と子と住んでいたマンションの方がいくらか高級な物件だったのだろう。男やもめの風情が漂っている。

先生の部屋はマンションの5階にあった。

「きれいに片付けてるんですね」
 
案内された部屋を見回して咲子が言う。

「休日の午前中は掃除するんだよ。勤務のある日はなかなか手が回らないけどね。掃除した日に呼んで良かった」

リビングに通された。ソファとローテーブルはまだ新しい。ここから見えてる、キッチンに置いてある調度品の数も少ない。

おそらく家財のほとんどを元妻子の家へ置いてきたのだろう。医者にしては質素な暮らしをしている。

先生は「じゃあ。丹羽さんはそこでテレビでも見ててよ。僕、作ってるから」なんて言って、腕まくりをしてエプロンを身に着けた。男の人がエプロンを着けているのを咲子は初めて見た。数年前に実家を出ていった父親が料理をしている姿を見たことはない。

対面式のキッチンにいる先生の姿が見えたが、彼は結構手際良く料理をしているではないか。どうやら今夜のメニューはオムライスのようだ。彼はフライパンを大きく振って、ご飯を宙返りさせている。まるで料理人のようだ。

炒めご飯の香ばしい香りが漂ってきて、咲子のお腹が鳴る。幸いにして、先生の所までは聞えなかったけど。

「先生ってお料理されるんですね」

咲子が声を掛ける。 

「そりゃ、するさ。学生時代やインターン時代は一人暮らしだったでしょ。結婚してからも共働きだったから、元妻と交代で夕飯の支度をしていたよ」

「いい旦那さんだったんですね」

「どうだかね。結局分かれてしまったし」

しばらく沈黙が続く。

「丹羽さんは? 自炊とかするの?」

今度は先生がたずねる。

「しますよ。健康のためにしますよ。買ってきた物は味付けが濃いし、油っこいから体に悪いですよね。かんたん料理ばっかりですけど、野菜をいっぱい採るようにしています」

「へえ。それは感心だね」

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