会いたいのに 言えない
無題

 いつも仕事中はタバコを吸わないことに決めている。

 それがプライベートと仕事を分別するのに一番最適な方法だからだ。

 ほぼ20時間ぶりに、我が家のリビングで吸うタバコは、実にうまい。

 7メートルもの吹き抜けの天井を真下から眺め、自ら作った邸宅に心の底から感動を覚える。

「あなた、ミチコの留学の話ですけど……」

 その心酔した最中に話しかけられても、許せる女性は1人だけだ。

「あぁ、何?」

 妻は長い髪の毛を揺らし、少し眉間に皴を寄せながら切り出した。

「カナダに行きたいんですって。お隣の御嬢さんもカナダだったし、うちもカナダでいいかしら?」

 若さへの努力ももちろんのこと、そもそも美貌の持ち主の妻は、少し表情を歪ませたもののそれがまた、深夜の顔を思い出させるのには最適で妙に興奮してしまう。

「……どうせならロンドンにしとけ。知り合いがいるから。その方が安心だろ」

 このタイミングで欲情して嫌がられる流れはもう身体にしみついているので、タバコの力で頭の冷静さを取り戻していく。

「建築士の先生?」

「あぁ……」

「もう、女の子は仕事なんてしなくていいのよ。どうして継がせたいのかしら、私にはさっぱり分からないわ」

 そういう怒りっぽいところも好きだなと、苦笑しながら、

「女性でも仕事ができた方がいいんだよ。何かと楽に生きられるだろ」

「そうかしら? 私は仕事なんてできなくても……」

 手慣れた仕草でふわりと肩を包み込まれて、温かな気持ちになる。

 この温もりこそが、仕事とプライベートの違いかもしれない。そう教えてくれるあたたかさだ。

「あなたがいれば充分楽で幸せですけど?」

 不意に目を見て微笑みながら言われると、

「フン」

 言葉にならず、手も出ない。

「さあ、ロンドンね。ちょっと遠いわねえ」

 俺の照れた顔に満足しながらも少し寂しそうに呟く妻に、一言かけようかどうか迷ってやめた。

『新しい子でも授けるか?』。

今は言わなくていいか……。

今晩辺りでいいか。

そんな妄想を思いつきながら、キッチンから漏れる家族の賑やかな声に、甘い紫煙をくゆらせた。
  
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