雪恋ふ花 -Snow Drop-
五分ほどして、入り口のドアが開いた。
「おかえり」
黒板にかかった大きなそろばんが懐かしくて、思わず珠を動かして遊んでいた春人が、そういって振り向いた。
そして、そのまま笑顔が凍りついた―――
「どちらさまかしら?」
不審者を見るような目で春人を見つめていたのは、中年の女性だった。
「あ、あの、僕は黒部春人と申します。えっと…珠さんの…」
春人が思わず口ごもると、その女性の眉間にしわがよる。
春人は意を決して、女性の目をまっすぐ見据えて言った。
「珠さんと真剣に交際させていただきたく、その申し込みにあがりました……」
そこまで聞くと、その女性が急に笑い出した。
先ほどの険しい表情が嘘のように、柔らかい頬笑みを浮かべている。
その目元がどことなく、珠と似ていた。
「ごめんなさいね。つい、人違いしたみたいで」
「えっ?」
春人はわけがわらず、聞き返した。
「いえね、珠が最近、失恋したみたいだったから、ついその方なのかと思ってしまってね。ああ、私は珠の母で、志磨と言います」
「初めまして。今後とも、よろしくお願いします」
春人が深々と頭を下げる。
「それで珠はどこに行ったのかしら?」
志磨があたりを見渡して尋ねた。
「ええと、すぐ戻るからと、どこかへ出て行かれました」
「あら、そうなの? ちょっと、お待ちくださいね」
志磨は事務室らしきドアの向こうへ姿を消すと、しばらくしてお茶を持って現れた。
「なんのおかまいもできませんけど、まあどうぞ」
そして、春人と志磨は珠が戻るまで、世間話を始めた。