天使のアリア––翼の記憶––
「…届かないこと、分かってる。でも、好きだから。2人のこと、好きだから」
そう言って先輩は遠くを見つめた。
「…この想いがなくなるまで、好きでいる」
ワインレッドの瞳は真っ直ぐだった。
きっとその想いも、真っ直ぐなのだろう。
「…届かないと知っていて、それでも好きでいるの、辛くないんですか?」
どれほど先輩が真っ直ぐ想っていても、決してその想いが届くことはない。
それが分かっていて、どうしてそんなに想っていられるのだろう。
私には理解できなかった。
「…辛い。すごく、辛い。でも…」
そして先輩は少し笑った。
「…笑顔、見たいから。ボスの笑顔、好きだから」
言葉がぐさりと胸に突き刺さるような、そんな感覚がした。
先輩が届かない相手を好きでいられる理由が、少しだけ分かったような気がした。
「…月子は、どうするの」
先輩は真っ直ぐ私を見た。
私の瞳の中に意思を探すような、そんな目だった。
「…私は…」
ウサギのことを、好きでいるのか、忘れてしまうのか。
どちらがいいのだろう。
そんなこと、頭の良くない私が考えたところで分かるわけなかった。
でも、この感情を忘れたいとは思わなかった。
忘れてしまえば楽になれるのだろうけど、なぜだかそれを選ぼうとは思えなかった。
それに忘れられないと思った。
勉強は右から左へと忘れることは簡単だけど、この想いは、この想いだけは、到底忘れることなどできないと思った。
じゃあ、北斗先輩みたいに、私もウサギを好きなままでいる?
ウサギの笑顔が好きだから、それが見られるように、私の思いも何も言わないで、このままの関係を保つ?
少し考えて、首を傾げた。
何も言わないで?
このまま?
引き下がるの?
ひっそりと心の中で想うだけ?
そして、一人でこっそり泣いたりするの?
なんか
そんなの
嫌だ。
「…何も言わないままでいるなんて、できない…」
私は真っ直ぐワインレッドを見つめ返した。
「私、ちゃんと自分の気持ち、伝えます」
そうは言ったものの、手は震えていた。
私の心がちゃんと決めた。決意は固い。
けれど少しの恐怖だってある。
拭いきれない、私の弱さ。
「…そう」
先輩は私の手を包むように握ってくれた。
「…同じ思いをしてるの、独りじゃないから。怖くなったら、思い出して、僕を」
先輩は珍しく微笑んだ。
「先輩も、ですよ」
私は呟いた。
「先輩も、辛くなったら思い出してください、私のこと。先輩は独りじゃないから」
私の言葉に驚いた先輩は目を大きく見開くと、すぐに笑った。
ふんわりと目を細めて微笑む先輩の笑顔は、今まで見たことがないほど優しかった。