天使のアリア––翼の記憶––
「はよ」

ウサギが教室に入ってきた。

「お、おはよ」

「おはよー」

戸惑いを隠すように挨拶する私と、ふんわりといつものように微笑む乙葉。

少しだけ漂う緊張感は、2人ともウサギが好きで、それをお互いが知っているからだろう。

そんなこと、2人とも口に出したりはしないけれど。

「あの遅刻魔な月子が遅刻しないなんて、明日雪が降るんじゃねぇの?」

私の顔を見た途端、あのバカウサギはおどけた顔でそんなことを言ってくる。

「失礼なことを言わないでよバカウサギ!」

「あぁ?」

険悪なムードが立ち込める中、ふんわりとした独自の雰囲気で険悪ムードを軽々とぶっ壊してくれるのは、言わずもがな、我らが天使、乙葉なわけで。

「もー、喧嘩はやめてよー」

乙葉は腰に手をあて、もう呆れたという顔をした。

今までと何も変わらない空気感が嬉しくて、私の頬は少しだけ緩んだ。

「乙葉、足はもう大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよー」

心配そうに尋ねるウサギに乙葉は微笑んだ。

「でも無理はすんなよ」

「あはは、心配しすぎだよー。でも、ありがとー」

そう言って微笑みあう2人。

ウサギの瞳に映る乙葉。

乙葉の瞳に映るウサギ。

まるで、2人きりの世界のような、そんな空気感。

そんな幼馴染2人を見て、胸の傷がずんと痛んだ。


少しだけ嫌だと思ってしまう。

少しだけ泣きそうになってしまう。

そんな自分が醜くて、始まるは自己嫌悪。


渦巻く自己嫌悪の中で、それとなく分かってしまった。


私がすべきこと。

私が下すべき決断。


そんなの嫌だと強く思うのに、でも、そうするしかないとも思ってしまって。


…あぁ、もう。

頭がパンクしそうだ。


「…月子、どうかしたか?」

ウサギが少し心配そうな顔で私に声をかけた。

…そんな顔で、私を見ないでよ。

期待なんかさせないでよ。

そんな子供っぽくてみっともない言葉を飲み込んで、少しだけ大人びた言葉を口にした。

「え? 別に何もないけど?」

何を言っているの?とでも言いたそうな顔をしてみせた。

「ふーん。それならいいけど」

ウサギの注意が私から逸れた。

少しだけ胸を撫で下ろしたと同時に、寂しいとも思った自分を戒めた。

『本当か? 何かあったんだろ?』

本当はそう言ってほしかったなんて、そんな子供っぽい願望を持っていたら、駄目だ。

考えれば考えるほど、辛くなるのは目に見えている。


だってこの気持ちは、もう、届かないのだから。
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