天使のアリア––翼の記憶––
「…願いと同じことを貴女も背負うことになります」

「願いと同じ?」

藍羅先輩は首を傾げた。

「不治の病を患う少女を治すということは、その欠陥を消すということで、即ちその欠陥の死を表します。また、組織の消滅も、組織の死を表します。

2つの願いは、矛先は違うけれどどちらも死を願っている。
つまり願いを叶える貴女自身も、その願いと同じように、死ぬのです」


藍羅先輩以外の皆が息を飲んだ。


「けれどそれは体が滅びる死ではない。貴女には元いた世界に還るという最も重大な定めがあり、それは何があっても覆らないことです。

ですから、貴女が迎える死は、通常のそれとは違う。

貴女は皆の心の中で死ぬのです。

地上の生きとし生ける者全てから貴女の記憶が消し飛ぶのです」


「裏を返せば、みんなの記憶からあたしが消えるだけで、2つの願いを叶えることができるってことだな」


間髪入れず藍羅先輩が言う。

思ったより代償は少ないんだな、なんて涼しい顔をしている。


「私にはなぜ自らに危険が及ぶことを知ってもなお他人の願いを叶えようとするのか理解できない」

眉をひそめる環に、そんなの当然だろうと藍羅先輩はすました顔で言った。

「だってデュークが好きだから」

「だからって無茶しすぎですよ」

環は深くため息を吐いた。

「それがあたしだ」

「誇らしく言うことではありません」

「えー?ケチー」

「そういう問題じゃありません」

藍羅先輩は、むぅ、と膨れた。

「なぁ、いいだろ?あたしが2つの願いを叶えても。不可能なことではないし、あたしがそうしたいと望むんだから…」

「嫌です!」


藍羅先輩が言い終わらないうちに、私は叫んだ。


「私、忘れたくないです!先輩と過ごしてきて、私、たくさんの経験や出会いをさせてもらいました。全部全部、大切な思い出なんです!」


共に奏でたコンクールや大会だけじゃない。

練習で使った音楽室も、一緒に歩いた光溢れる廊下も、くだらないことを話しながら帰った夕日に色付くアスファルトの道も、全て。


先輩と共有した全てが、愛しい大切な思い出だから。


「忘れたくない!絶対、忘れたくないんです!」


それを忘れてしまったら、私は何を生きがいにしていけばいいの。

心にぽっかり空いた穴は、どうやって塞げばいいの。


先輩との演奏が、私の全てなのに。


「月子、お前には感謝してる。何度口にしても伝えきれないほどに。お前のおかげであたしは本当の自分を知ることができた。本当にありがとう」


藍羅先輩は目を細めて優しく微笑む。

その微笑みの刹那さに戸惑いつつも、先輩の言葉が引っかかった。


「本当の、自分って…」


「あたしが天使の歌姫だと気づけたのは、お前のおかげだ」


驚愕する私に、先輩は教えてくれた。
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