天使のアリア––翼の記憶––
そういえば、あの後デューク先輩はディナちゃんを抱えてホールを去った。
感謝と謝罪の言葉を残して。
デューク先輩とディナちゃんがいなくなった後、七星先輩と北斗先輩もすぐに元の世界に帰るのかと思ったけれど、違った。
彼らは魔法で大ホールを完璧なまでに復元してくれた。
おかげでホールが荒れたことを他の人に知られることはなかったし、警察沙汰だとか騒がれることもなかった。
ホールを修復し終わると、彼らが元いた世界に飛び立った。
別れる時は辛かったけれど、彼らはどことなく嬉しそうでもあった。
大人びた彼らだったが、両親と離れ離れになっていたことがとても寂しかったのだろう。
それから数日後、ディナちゃんの元に訪ねたのだけど、もうすでに退院していたようで、ディナちゃんの病室は空っぽだった。
病院内ではディナちゃんの不治の病が治ったと大騒ぎだったそうだ。
どうやって治ったのか、何がどうなっているのか、もっとよく調べようとしたけれど、すぐにお兄さんがディナちゃんを連れ帰ってしまい、今ディナちゃんがどこにいるのか分かっていないという。
デューク先輩も姿を消したきりで音信不通だし、生存確認もできていないけれど、私はきっと元気にすごしていると思う。
きっとこの世界のどこかで、お父さんと3人で仲良く暮らしているのだろう。
そうだといいな、と思う。
ざわざわと会場にいるお客様の声が更に大きくなる。
ありがたいことに今日のチケットは完売となった。客席は満員だ。
そういえば藍羅先輩のかぐや会館での演奏会のチケットが完売だったが、あれは藍羅先輩が全てのチケットを買っていたからだった。
音楽室の楽譜の山の中から大きい紙袋を見つけた。その中にはあの演奏会のチケットがこれでもかと入っていて、数えるとここの客席の数と一致したのだ。
藍羅先輩は、前からこうなることを分かっていたらしい。
相談してくれても良かったのに、とちょっぴり拗ねたい気持ちにもなる。
そんなことできないと知っていても。
はぁ、と溜息を吐いて、舞台裏に置いてある大きな時計を見た。
先程から1分毎に時計をチェックしてしまう。
緊張しているせいだということは分かりきっていた。
先輩ならこんなとき、なんて言うだろう。
『本番のことは誰にも分からない』
『けれど練習は、練習だけは、嘘をつかない。一生懸命に練習をしてきた日々は確かにあたし達の中に存在している』
『あんなにたくさん練習してきたんだ。きっとうまくいく。そうは思わないか?』
あのリハーサルの前日の言葉が蘇る。
大丈夫、私は独りじゃない。
舞台袖にはスタッフさんがいるし、客席にはおばあちゃん、お父さんの他に、ウサギと乙葉もいる。楽屋にはお母さんの写真もある。
それに何より藍羅先輩と過ごした時間が私の中で確かに存在している。
私の心の中に、藍羅先輩がいる。
だからきっと、大丈夫。
そう言えばウサギと乙葉は最近付き合い始めた。
乙葉を何年も待たせたウサギに馬鹿と言いたい。
あのウサギヤローは、お人よしだとか優しいだとか、そういうのを超えて最早ただの馬鹿なのである。
そんな馬鹿なことを考えてフッと笑いが漏れて、肩の力が抜けた。
「本日はご来場していただきまして誠にありがとうございます」
落ち着いたアナウンスが場内に響き渡る。
今回は大切なあの曲を弾こうと思っている。
あ、でも、曲名を聞いたら、藍羅先輩、怒るかな?
でも、名前を決めていいって言ったのは先輩だし、それにきっと先輩も気に入ってくれると思う。
自分でもびっくりするくらい素敵な名前を付けることができたと思うんだ。
今から弾くこの曲は、私の思い出に残る先輩の面影が色濃く投影された曲。
大切に、大切に、一つひとつの音を愛しさで包み込むように、先輩の歌声を思い出しながら弾こうと思うんです。
だからね、先輩。
どうか、どこかで聞いていてください。
「私のピアノは、先輩と共に」
私はそっと呟いて、光の溢れる舞台に上った。
「華原月子で、曲目は
天使のアリア」
fin.
感謝と謝罪の言葉を残して。
デューク先輩とディナちゃんがいなくなった後、七星先輩と北斗先輩もすぐに元の世界に帰るのかと思ったけれど、違った。
彼らは魔法で大ホールを完璧なまでに復元してくれた。
おかげでホールが荒れたことを他の人に知られることはなかったし、警察沙汰だとか騒がれることもなかった。
ホールを修復し終わると、彼らが元いた世界に飛び立った。
別れる時は辛かったけれど、彼らはどことなく嬉しそうでもあった。
大人びた彼らだったが、両親と離れ離れになっていたことがとても寂しかったのだろう。
それから数日後、ディナちゃんの元に訪ねたのだけど、もうすでに退院していたようで、ディナちゃんの病室は空っぽだった。
病院内ではディナちゃんの不治の病が治ったと大騒ぎだったそうだ。
どうやって治ったのか、何がどうなっているのか、もっとよく調べようとしたけれど、すぐにお兄さんがディナちゃんを連れ帰ってしまい、今ディナちゃんがどこにいるのか分かっていないという。
デューク先輩も姿を消したきりで音信不通だし、生存確認もできていないけれど、私はきっと元気にすごしていると思う。
きっとこの世界のどこかで、お父さんと3人で仲良く暮らしているのだろう。
そうだといいな、と思う。
ざわざわと会場にいるお客様の声が更に大きくなる。
ありがたいことに今日のチケットは完売となった。客席は満員だ。
そういえば藍羅先輩のかぐや会館での演奏会のチケットが完売だったが、あれは藍羅先輩が全てのチケットを買っていたからだった。
音楽室の楽譜の山の中から大きい紙袋を見つけた。その中にはあの演奏会のチケットがこれでもかと入っていて、数えるとここの客席の数と一致したのだ。
藍羅先輩は、前からこうなることを分かっていたらしい。
相談してくれても良かったのに、とちょっぴり拗ねたい気持ちにもなる。
そんなことできないと知っていても。
はぁ、と溜息を吐いて、舞台裏に置いてある大きな時計を見た。
先程から1分毎に時計をチェックしてしまう。
緊張しているせいだということは分かりきっていた。
先輩ならこんなとき、なんて言うだろう。
『本番のことは誰にも分からない』
『けれど練習は、練習だけは、嘘をつかない。一生懸命に練習をしてきた日々は確かにあたし達の中に存在している』
『あんなにたくさん練習してきたんだ。きっとうまくいく。そうは思わないか?』
あのリハーサルの前日の言葉が蘇る。
大丈夫、私は独りじゃない。
舞台袖にはスタッフさんがいるし、客席にはおばあちゃん、お父さんの他に、ウサギと乙葉もいる。楽屋にはお母さんの写真もある。
それに何より藍羅先輩と過ごした時間が私の中で確かに存在している。
私の心の中に、藍羅先輩がいる。
だからきっと、大丈夫。
そう言えばウサギと乙葉は最近付き合い始めた。
乙葉を何年も待たせたウサギに馬鹿と言いたい。
あのウサギヤローは、お人よしだとか優しいだとか、そういうのを超えて最早ただの馬鹿なのである。
そんな馬鹿なことを考えてフッと笑いが漏れて、肩の力が抜けた。
「本日はご来場していただきまして誠にありがとうございます」
落ち着いたアナウンスが場内に響き渡る。
今回は大切なあの曲を弾こうと思っている。
あ、でも、曲名を聞いたら、藍羅先輩、怒るかな?
でも、名前を決めていいって言ったのは先輩だし、それにきっと先輩も気に入ってくれると思う。
自分でもびっくりするくらい素敵な名前を付けることができたと思うんだ。
今から弾くこの曲は、私の思い出に残る先輩の面影が色濃く投影された曲。
大切に、大切に、一つひとつの音を愛しさで包み込むように、先輩の歌声を思い出しながら弾こうと思うんです。
だからね、先輩。
どうか、どこかで聞いていてください。
「私のピアノは、先輩と共に」
私はそっと呟いて、光の溢れる舞台に上った。
「華原月子で、曲目は
天使のアリア」
fin.