小咄
「くそっ。こうしちゃおれん!」

 六郎は鉢巻を取り、千代を振り返った。
 不満顔の千代は、先ほどとは打って変わって非協力的だ。
 つーんとそっぽを向いている。

「クラスは違うが、協力してもらうぞ」

 さっと跪くと、素早く千代の足首に鉢巻を括り付ける。
 そして、ちょっと躊躇った後、六郎は千代を抱き上げた。
 真砂とは違い、いわゆるお姫様抱っこだ。

「ちょ、ちょっと六郎先生っ」

 千代が驚いて、足をバタつかせる。
 が、六郎は前を向いたまま走り出した。

 肩に担いだほうが走りやすいかもしれないが、そうすると、千代の胸が六郎の身体に当たる。
 それに、胸の下から腰まで裸状態の千代では、担げば素肌を持つことになる。
 そんなこと、六郎にはとても出来ない。

 お姫様抱っこであれば、視線を落とさない限り、千代は見なくて済むのだ。

「うおおおぉぉっ!!」

 物凄い勢いで駆ける六郎に、さすがの千代も口をつぐんだ。
 四方八方から飛んでくる矢(もちろん先は吸盤)やボールをものともせず、六郎は真砂に迫る。

 元々運動神経はずば抜けている六郎だ。
 しかも、今は目の前に深成という餌がぶら下がっている。

 というのも、真砂が走るにつれて、深成はずり落ちてしまい、必死で真砂の背にしがみ付いているのだ。
 深成が落ちそうだからといって、抱え直してやるような真砂ではない。
 ただ落としたらやり直しだから、落ちないように掴むだけで、深成の負担など考えない。

 これが違うクラスの先生と生徒であったら、羊は自ら落ちて妨害することもあるが、深成は真砂のクラスだ。
 落ちないように、必死である。

 そんな深成が、可哀想でならないのだ。
 一刻も早く、助けてやりたい。

 ……六郎が助けたところで、やり直しとなるだけなのだが。
 しかし餌があるお陰で、六郎はごぼう抜きに真砂に迫る。

「み、深成ちゃんっ……! 今助けてやるっ」

 真砂の背に貼り付いたまま、深成が、ぎょっとしたように顔を上げて六郎を見た。
 まさか最後に柵から出た六郎が、すぐ後ろまで迫ってきているとは思わなかったのだろう。
 というより、深成は実は、必死な形相の六郎にビビったのだが。
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